通勤電車で読む『社会学者のための論文投稿と査読のアクションリサーチ』。論文投稿する人は一度は読むべき怪著。

樫田先生と栗田先生という、『新社会学研究』編集同人でもある先生方が編者になり、論文投稿・査読のプロセスのあれこれをめぐる、「投稿者と査読者と編集委員会」というアクター三者の相互作用に注目したモデルの提示と、同誌に投稿掲載された論文著者の人が経験を語る章と、あと、座談会、というかたちで、論文投稿と査読の世界を社会学的に解明する&ねがわくばそれによってこの世界をよりよいものにすることを狙った本、ということになる。かなりざっくばらんに書いてあるので、論文投稿する人は一度は読むべきと思う。たとえば、「減点法/加点法」について。論文を投稿する人は、その論文が「減点法」的に評価されるものと理解する傾向にあり、したがって査読評で指摘された項目が減点項目ということになり、それに対応すれば及第点に達して掲載可となるはずである(ならないとおかしい)と理解する傾向にある、いっぽう、査読者は「加点法」的な評価をしていて、つまり読んだ論文がより良いものとなるためにはどうすればいいのかを評言に書く、ただし同時にそこにはABCDなり掲載/リジェクトの評点を明記せねばならず、たとえばC:修正再投稿とするなら、評言の書き方としては「このようにしていないから修正を要する」のような(つまり減点法っぽい)書き方になりがちである、とかなんとか。しかしたとえば、

…両査読者の意見を受け入れた論文が、その結果、見通しがよくなって、余分な枝葉がそぎ落とされて、元々あった欠陥を露わにしてしまうことが、しばしばあるのである。

みたいなことがざっくばらんに書いてあって、まぁそういうばあいは率直にそのように伝えるしかないわけだけれど、投稿した人は(とくに減点法的なイメージを持っていると)がっかりしちゃうだろうなあと。でもまぁそれはその論文が前進したってことに違いはないんだからがっかりする必要はないんだけどね。
あと、座談会では、いまの大学院の指導の機能が落ちてて雑誌の査読システムがその肩代わりをしている、みたいなことがしれっと書いてあって(たしかに『新社会学研究』はとても丁寧で親切な査読システムであるように読めるが、これは本書が同誌の宣伝の意味も兼ねているのかもと思われなくもない)、それはしれっと書いて流して済む話ではないだろうし、それがボランティアの査読者によって支えられているということを「査読投稿システムは価値合理的なのだ」と言って済ませられるのかもよくわからない。個人的には、(いつもそればっかし言ってるわけだけれど)「研究者のコミュニティ」すなわち具体的には学会と研究者個人のあいだにある中間的な集団、大小の研究会が、機能しなくなってきている、ということなんじゃないかと思うので、従来であればコミュニティが(それこそ互恵的に)担っていた教育機能を、査読システム(というのはやはりどうしても形式的で匿名的で不自由ににならざるをえないのだけれど)に付け替えれば済むというものではないだろう、そんなことをしたらしたでまた不具合が起こるとか、ある雑誌ではできてもほかの雑誌では悲惨なことになるとか、起こるんじゃないかなーとは思う。