中島『働くことがイヤな人のための本』は斎藤美奈子の解説がまっとうだがそれは関係ない。

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

昨日、黄砂に吹かれながら散歩に出かけて本屋に寄り、新潮文庫「男の世界フェア」なる平積みコーナーで見かけて、嫌いな著者なんだけれど例によって買って帰って、風呂で半分、今朝、寝起きに半分読んだ。
文庫版は斎藤美奈子が解説で、そっちから読むわけだけれど、まぁごくふつうにまっとうに批判している。本文を読まなくても、中島はこういうことを言いそうで、斉藤がこういう批判をするのはわかるわかる、目に浮かぶよ、そりゃまあその通りだ、と思う。
で、まぁそれはそれとして、本文を読む。いつもながらの中島節で、自己愛的で下品で不快だ。じゃあなんでいつも買ってきては読むかというと、オチが決まっていて安心して読めるからというのがあると思う。この本は、例によって、「働くことがイヤな人」としてA,B,C,Dという4人の登場人物が出てきて、著者と対話をおこなう、という体裁で書かれている。もちろん、A,B,C,Dの登場人物も著者が想像上で造形しているので、まぁ中島の自己愛的なモノローグの文章である。で、引きこもりの学生ということになっている青年Aが、さいごには、僕は働くことにしました、なんて言っているのだから、まぁ、この本の筋書きとしては、非常にまっとうなことになっている。じゃあ、この本を読んでそんなに都合よく、引きこもりの青年が働くことにするようになるか、というと、まぁねえ、ということになるのだけれど、たぶん、この本がプラスになるという種類の青年というのもおるやろうとは思う。オチは最初からわかっているとはいえ、なんとなく「哲学的」な愚痴を共感してくれるような相手が欲しい、どうせつまらん仕事をしなくてはならないにせよ、せめて愚痴ぐらい高尚なフリがしたい、という人種は、いるものなんである。
あたりまえのはなしだけど、
たいていの仕事は基本的にはつまらんので、本質的にやりがいのある仕事なんていうのは、ほとんど存在しない(やってるうちにハマる、ということはありうる)。
また、これもあたりまえのはなし、
自分は無能力者だとか社会不適応者だとかなんとか、大げさに言いたがる青年たちというのはいるけれど、たいていの人間はげんに働いているし、誰だってなにがしかの仕事をすることは、できる。
なので、寝て暮らせる金持ち以外は、うまく割り切って働きましょう、というのが、まぁふつうのオチだし、この本も、そんな本なんである。
ただ、その割り切り方のところを、有名哲学教授が高尚な哲学と下品な打ち明け話とを取り混ぜながらパフォーマンスしてくれるんで、それなら騙されてもいいやと思う青年というのは、いるだろう、というお話。
そんなこというなら有名哲学教授の権威を借りてる時点で権威主義でかっこわるいんだけれど、そこんとこは都合よく忘却するということにするわけである。
こんな本よまずにそのぐらい自分で納得して処理する方がかっこいいのだけれど、そのへんはないしょね。