『聲の形』みた。

学生さんのおすすめということでまぁ、こっちは見ずにあらすじを聞いて、それからそのあとでYouTubeで予告編動画なんか見たら、あ、これがそのシーン、これが主人公で、あーこれが妹、ボーイッシュ、なるほどねえ、えー?主題歌aikoなん?あー×が付いてるってこれねなるほどね、等々やってたんやが、一番の衝撃は、主人公の親友役の男がちらっと映った時のそのビジュアルで、なんかもうこいつだけ作画がとにかく違う。でまぁ、カースト底辺であるということは聞いてたんである程度は想像しながらあらすじを聞いてたけれどその想像を異次元的に超えたビジュアルで、それはどうなのかと。とにかくそこが衝撃過ぎた。あとは、あらすじというかかなりシーンを追って説明してくれたんで聞きながら想像しながらだったのだけれど、なかなかこっちとしてもおもしろくて、聞いてるだけだったら憎まれ役の女子はかなりサイコパス?という印象だったし、だいたいの話の展開を聞き終わっての感想は、「この話、ヒロイン女子が耳が聞こえない設定、要る?」ということだった。まぁそのへんは学生さんの説明のさじ加減でもあったわけだけれど、小学校のときに転校性女子が来ました、うじうじしてたのでいじめました、いじめた男子@主人公がこんどはいじめられました、それが中学まで続いて高校でその女子と主人公が再会してどうのこうの、小学校時代の同級生がまたあつまってどうのこうの、ぎすぎすしたりしつつさいごに和解しました、みたいなふうに筋書きを拾うと、まぁ『聲の形』というタイトルからなんとなく期待するような「障害」のテーマというのはあまり関係なさそうだなという気がしたわけである。でまぁ、学生さんは、いやまぁそんなことはなくて、等々言ってたし、「まぁ実際に見ると印象違うんやろうね」等々言ったわけだけれど、まぁ学生さん的にもこの映画はどっちかというと「いじめ」に関連してということだった。まぁでもこれまた学生さんのあらすじ説明だけ聞いたら、たんにサイコパスな悪役がいじめを行ったというような印象を持ったんで、「うーん、きみ的に「いじめ」ってことでぴんとくるところがあったわけやね」と確認すると「あーでもいろいろありました」ということだった。でまぁ、自分でも見たら、まぁなるほどおっしゃることはわかって、まぁやはり実際に見たら印象ちがって面白く見れた。まぁ「いじめ」については、小学生ぐらいだとこんな感じなんだろうかな、という印象でそれなりの説得力は感じたが、まぁこれは教師が学級運営してないじゃんねえという印象。まぁあとは、いまどきの若い子とは自分はもうずいぶん感覚が離れてしまっているので、「いじめ」とかスクールカーストとかに対するこだわりかたの感覚がわかんないんだろうけどたぶん今の子はこうなのかね、というかんじ(ストーリーが、小学校時代のトラブルについてみんなが根に持っているということを動機にして動くので、いやまぁしかしふつう誰しももっと適当に切り替えて生きていくでしょう、ちょっと脚本が安易なんじゃないの?と感じなくもなかったんだけれど、学生さんは相応にこの映画に納得してたし、まぁたぶん世間的な評価もそうなんだろうから、こういう感覚をあるていど真に受けるべきなのかもとも思ったしだいである)。それにつけてももう一度言うが、やはりこの親友役の作画だけ異質なのは、つまりようするにいじめとか排除とかいうのはこういうことを言うんじゃないのか?と思いはする。

通勤電車で読む『社会にとって趣味とは何か』。

はじめにのところを読んでたら、この本は宮台真司ほか(1993)『サブカルチャー神話解体』を下敷きにして乗り越えるみたいなことで書かれたみたい。それで、さしあたりなるほどこの表紙のきもち悪いドット模様はそのリスペクトなのかしら、などと卓越化的にデータベース消費したわけなのだが、じつは自分は世代的にはきわどく宮台真司は通ってこなかった。宮台真司という人はソシオロゴス界隈の人で、『権力の予期理論』というのは大学生協でちょっと立ち読みしたけどぴんと来なくて(たぶん後々じぶんがゲーム理論がぴんと来ないののはしりだと思う)、そのうちその本はたしか『現代社会学』かなにかの書評で橋爪大三郎に総括されてた気がしたのでなんかわかんないけどやっぱりなと思ったという、で、その後、教育社会学会の課題研究「<異界>に生きる少年少女」(1991)の発表者として登場、満員立ち見の会場にちょっと少なめの配布資料で飢餓感を煽りつつマーケターみたいな喋りで「~なわ・け・で・す」みたいなかんじで、たしか調査か何かをやったということで異界を生きる若者の知り合いで代弁者だみたいなかんじでぺらぺらと喋ってずいぶん感じ悪いなあという印象を持ったという、でまぁあまり感化される感じにならないまま今に至るわけなのだった。
なので、それから四半世紀たって手にした本が、我こそは日本の社会学や若者論を背負うという意気込みとともに、宮台真司を乗り越えるのだみたいなことを言われても、またそれで実際の分析を読んだらアニメとかオタクとかのはなしだったりすると、なんかこう総じて、まぁねぇという感想にはなるのだった。

そうそう、やっぱりだ。上記↑の教育社会学会の課題研究報告で、宮台という人が妙にマーケターみたいな喋り方をしていた印象があり、だからマーケティング調査会社で働いていたのだと思っていて、だから宮台という人というのはきっと、要するに博論でルーマンとかゲーム理論とかで書いたものの挫折してその後はもっぱらマーケティングの仕事能力で、表面上は「ルーマン」だの「システム論」だのという用語をふりかけて、仕事をしていた人だ、というふうに思っていたのだけれど、さっきWikipediaで見たらマーケティング会社で働いてましたとか全然出てこなかったので、それは勘違いか、偏見はよくないなあと思っていたのだけれど、
dl.ndl.go.jp
当時の学会の予稿をなんとなく見直してたら、やっぱりマーケティング会社の仕事もやってはいたんですな。

私の専門は、社会システム理論一般とその特殊領域としての権力理論だが、84年から87年にかけて自分たちが設立したマーケティング会社で実務に従事したのがキッカケで、応用問題として日本的権力研究の延長線上に80年代の日本の高度消費社会を分析してきた。方法的には多変量解析、潜入調査、メディアの歴史的内容分析を、システム理論に結合するというやり方を採用し、入手容易なものとして以下の業績を公表してきている。
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うーん、まぁだから、時間的な前後関係として、博論で挫折してマーケター仕事のほうを売りにした、という先入観はまちがいだったようなのだけれど、まぁマーケティング会社の仕事がその後の方向性のもとだったってことぐらいは言えそう。

通勤電車で読む『やさしい日本語』。

このまえ例によってTwitterを眺めていたら、NHKの外国人向けの台風情報かなにかのツイートが流れてきて、ひらがな日本語で書くより英語で書けみたいに批判する声に対して、いや、日本在住外国人が英語ができるわけでもないし、母語の次にできるのは日本語なのである、彼らにとってのリンガ・フランカは日本語なんである、そのことを踏まえて「やさしい日本語」というジャンルの表現が生み出されてきていてNHKはそれを実用し始めてるんである、というのが流れてきて、なるほどもっともであるというわけで、そこで『やさしい日本語』という岩波新書が紹介されてたので、これは読んでみたいな、と思って注文をかけようとしていたところ、なんと4月に買ってつんどくになっていた山の中に偶然発見。既に買ってた自分えらい。というわけで読んだ。なるほどということで。 

『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』みた。

これもハードディスクに入ってたのをみた。並んで座って食べるところでおおーとなる。

『ディア・ドクター』みた。

ディア・ドクター [DVD]

ディア・ドクター [DVD]

かなり前に録画してハードディスクに入ってたのを見た。笑福亭鶴瓶というのは「家族に乾杯」で弘法大師のごとく全国を歩いては拝まれたり有り難がられたりしているが、まぁじつのところは薄気味悪い。誰にでも人懐っこそうに近づいていくけれど目が笑っていないというのは昔から言われてたわけで、まぁこういう薄気味悪い役は合ってるのだろう。

『スティーブ・ジョブズ』みた。

アップル信者とかマカーとかいう人種ではないしどっちかというと敬遠しているのだけれど、まぁプレゼンの本とかに出てくるし、マンガの『スティーブズ』は面白かったので、このまえ深夜のテレビで録画してたのを見てみた。まぁ、あまりメリハリを感じないというか、まぁそっくりさん登場の再現ビデオというかんじで、まぁマンガの『スティーブズ』のほうが、よくわからないけど精神異能力バトルものみたいなノリに落とし込んであったしおもしろかったな。
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通勤電車で飛ばし読み『会議術入門』は昭和38年。

つんどく状態の会議本の古本から。これは昭和38年の本。いま現在の会議本とはノリが違うようにみえる。むしろそういう興味深さはなくはない。