通勤電車で読んでた『ジュリーの世界』。「河原町のジュリー」がいたころの界隈の風景の小説。

河原町のジュリー」という名前は、ローザルクセンブルクの「だけどジュリー」から知って、実際に見かけたことはなかったわけだけれど、自分が大学に入学する前年に亡くなっていたので見かけるはずはなかったわけである。でも、ラジオから録音したローザルクセンブルクのカセットをずっと学生時代から院生、オーバードクターのときも聴いていたので、「だけどジュリー」とか「橋の下」とかが自分の心象風景になってるわけである。
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で、この小説は、河原町のジュリーがいたころ、1979年の春から冬までの界隈のおはなし。フィクションであるようなのだけれど、京都の当時の界隈の風景、通りの名前や店の名前なんかはたぶんそのままで、また、たとえば1979年にビーチボーイズが来日して伏見桃山キャッスルランドに来たけれど雨のために演奏しなかった(前座のサザンオールスターズは演奏した)、みたいな嘘みたいなエピソードも本当にあったことのようなのだ(https://merurido.jp/magazine.php?magid=00012&msgid=00012-1331316939)。

『既成概念をぶち壊せ!』読んでた。

『愛と暴力の現代思想』『無産大衆神髄』の著者のうち、矢部史郎という人の本はほかにもあるしブログとかでも発信してるけれど、山の手緑という人はたまに短いものを見かけるしかない。で、検索をするとこの本が出てきたので読んだけれど、これ、100項目あるうちの1項目だけ書いてるんだったけど「家事労働」おもしろかった。で、この本そういうわけでたくさんの項目についていろんな人が書いている。
非常勤回りの途中で買った本。『愛と暴力の現代思想』『生命と現実』『スキャナー・ダークリー』 - クリッピングとメモ
『無産大衆神髄』入手。素晴らしい。 - クリッピングとメモ

『大いなるリハーサル Les grandes répétitions (パリのセシル・テイラー篇)』みた。

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大いなるリハーサル Les Grandes Repetitions (パリのセシル・テイラー)

れいによってTwitterのタイムラインで見かけて、え?と思ってみた。フランスのテレビ局むけに撮られた、リュック・フェラーリ監督作の音楽ドキュメンタリーらしい。リハーサル、ということで、どっかの部屋でカルテットが演奏をしているのだけれどそれがけっこう断片的で、途中途中にインタビューが挿入されたりしてるし、演奏場面も顔のアップとかに切り替わったりしてあまり演奏そのものをじっくり聞く感じではまぁ、ない。でも、1966年のセシル・テイラー・カルテットが演奏しているわけで、これはありがたいわけである。セシルのピアノの叩き方も絶頂期なかんじが(振り上げた手の高さ的に)して、ありがたいわけである。
で、YouTubeの関連動画を見ると、「Cecil Taylor: Montreux 1974」というのがあったが、これは…と思って見てみたらなんと名盤『SilentTongues』の演奏が映像で残ってたのか! 一部分だけど。おどろきである。
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『友達0のコミュ障が「一人」で稼げるようになったぼっち仕事術』。看板に偽りありの不快な本だが何か所か読むところはあった(のかなあ)。

タイトルを見て、まぁ仕事術の本というのは基本的に、意識が低いほうが(非精神論で即物的になって)おもしろいわけなので、学校帰りの電車で読み始めた。でまぁ、最初の「第1章」で、「コミュ障でもうまくごまかしてやっていく」ということを言ってたのぐらいは、まぁよかった。まぁそのぐらいで終わっておけばよかったんだろうなあというのがこの本の積極的な感想で、たとえばほんとに「友達0のコミュ障」のひとが仕事に悩んだとしてこの本を手に取ったらたぶん死にたくなるだろう。著者の人は、友達のいない人、「コミュ障」の人、あとほんとうに「一人」で稼いでいる人に、謝るといいだろう。著者の人は、早稲田の理工を出てなんかよさげなITコンサル会社に入社したものの「コミュ障」で失敗し、退職して、いまはフリーでやっているシステムエンジニア、というふれこみなのだが、「第2章」で明かされる経歴を見ると、会社でそれなりに仕事をあてがってもらってたのにYouTuberとかインフルエンサーとか?に感化されて退職、で小説家になるといって箸にも棒にもかからないものを3作ぐらい投稿してとうぜん箸にも棒にもかからず、YouTuberになろうとしても誰も視聴せず、クラウドソーシングのこたつ記事で稼ごうと思っても雀の涙、ブログで稼ごうとしてもお小遣いていどで生活できるには程遠く、スマホアプリ開発ならできるのではとアイディアを思いついたがどうにもならず…といったダメかげんで、しばらくは「なんだこれは?」と思って読むわけだけれどだんだん種明かしが見えてくる。けっきょくどうにもならなくなって実家に戻った娘にパパが手を差し伸べて、「知人のビジネスインキュベーター」を紹介してくれる。で、ただでアドバイス。で、「エンジニアさん」も紹介してもらって、そのエンジニアさんと、思いつきのアプリの案をああだこうだいってるうちにアイディアは全然別物に化け…しかもただで相談した挙句にけっきょくものにならず没。でこんどはまたパパが「ビジネス投資家さん」を紹介してくれて、その人がなぜか何物でもない著者のあやふやなアイディアにポンと「とりあえず一千万」出してくれる。それでなんか会社を設立して?なんか前職でお世話になった人に「サポーターさん」になってもらってなんかやるけどそれもけっきょくものにならず没。で、しかたないのでアプリのアイディアにならないかぐらいの気持ちで配送のバイトをフルタイムにしたら失敗ばかりだったし腰が痛くなったのですぐやめて、どうしようかと思ってたら「サポーターさん」がプログラミングの業務委託契約、月60万円、というのを回してくれました、という。うーん、ようこれで他人に講釈しようと思ったな。でまぁ、「第3章 お金」では、家計簿をつけてお金の使い方を見直そう、でもこまかいレシートをいちいち集めたりしてもうまくいかないから固定費だけ書き上げよう、それで私は火災保険とガス電気を安いところに替えて、月6000円だったか浮かせました! 年間にすると8万円!すごい! アマプラのサブスク代とか、カフェでコーヒーを飲んだりするのを節約すると生活の質が下がるのでそれはやりません! みたいなかんじ。収入のうち何割を投資に回してます、あ、不動産投資の会社もはじめました、みたいな。人生を長期的に見て節約するために、ちゃんとしたファイナンシャルプランナーに見てもらいましょう、数万円の投資は無駄になりませんよ、とか。「第4章 メンタル」では、じぶんが落ち込んでヤバかった時には、彼氏には愚痴を聞かせたくなかったので日記に書いていました、これおススメ!みたいな。あと母親と毎日散歩したりしておしゃべりしています、とか、そういえば去年母と二人でイタリアに旅行に行って…とかなんとか。たぶんこれ、人をムカつかせようと思って書いているというわけではないんだろうなあというところがキツい、というか、あーそうなんだ、というかんじで勉強になる。

通勤電車で読む『医師・医学生のための人類学・社会学』。医学教育のなかで人類学を教える教科書。症例検討というテイの27講。

国際的な医学教育の質保証の認証評価の基準の中に、医療人類学や医療社会学が入ってきたよ、「医学教育モデルコアカリキュラム」にも文化人類学社会学がもりこまれたよ、ということらしく、まぁそこに向けての教科書である。
で、内容はというと、まぁ最初の数章は理屈の説明で、医療人類学ってのがあるよとかエスノグラフィってのがあるよとかそういうはなし。そのあとはずっと、人類学者が参加したカンファレンスでの症例検討というテイで、症例の紹介と人類学者からの質問、それを受けての補足情報と、解説、というふうに書かれている。
目次の一部だけれど、

第II部 臨床症例/事例で学ぶ人類学・社会学
[1] 患者・家族の一見不可解な言動
04 月毎に入退院を繰り返す【1, 9+, 11+, 12, 14】
05 近隣住民とトラブルになり医療保護入院となった高齢女性【1, 4+, 14】
06 多くの生活困難を抱えこんだ患者【1, 5, 13+, 14】
07 「不定愁訴」を訴え続ける患者と向き合う【1, 5+, 9+, 13, 14】
・・・
[3]生殖医療・小児医療の現場から
12 生殖医療をめぐる治療の線引きとジェンダー【1, 4, 5, 6+, 14】
13 1型糖尿病男子の踊る注射【1, 4, 5, 6+, 14】
14 「障害」という診断をめぐる葛藤【1, 5+, 14】
・・・

というかんじで、まぁ、一つの章がみじかいのでエスノグラフィというほどではないけれど、このようにたくさんの章であれこれのケースをみると、たしかにお医者さんがかかわるケースには社会科学的な文脈がけっこうかかわってくるよなあというのも伝わる。
ところで、「解釈モデルと説明モデル」というコラムがおもしろかった。いま、医学生は実習を受けるための共通試験?の内容の中で「解釈モデル」ということばをかならず覚えるのだそうだ。患者さん側の、病気や医療に関する捉え方、みたいな意味で覚えるよと。ところでこの語は、医療人類学者クラインマンの「explanatory model」の訳で、クラインマンの訳書では「説明モデル」と訳されて、患者さん側だけでなくお医者さん側の捉え方も同様にそこに含まれてることになってるそうな。つまり、もともとの人類学的な議論ではお医者さん側の視点も相対化するような語だったのが、いまの医学生の勉強では患者さんの視点を相対化するような語として覚えらえれてるよ、という。へー。

『女の子だから、男の子だからをなくす本』。これもジェンダーの絵本。

女の子だから、男の子だからをなくす本

女の子だから、男の子だからをなくす本

例によってTwitterのタイムラインで見かけたもの。ジェンダーの絵本ですね。空いてる時間に読んだ。わるくない。これも学生さんの本棚に並べたいということで。