ドゥルーズ「構造主義はなぜそう呼ばれるのか」再読。新訳が『無人島』に載っているのだなあ。

学生のときに、中村雄二郎訳、中村雄二郎監訳、『シャトレ哲学史VIII――二十世紀の哲学』所収、白水社、1975、というやつでコピーして、読んだのだけれど、もちろんそのときはさっぱりで、そのご何度か読み直すたびに少しずつ、ほうほう、ということになってきたのであるが、このたびもまたそんな感じ。いちおう、明快なテキストであるのだから、一発でわかりそうなものなんであるけれど。やはり、アルチュセールとかラカンとか、レヴィ=ストロースとか、ヤコブソンとか、なんかそういうのを読んでからでないと(しかもそれらをもとに自分でいろいろ考えたりしたあとでないと)ピンと来ないということがあるのだろう。なので、あんまり深く考えずに、まえ何度か読んだときよりわかったなあと素直におもしろがっておくことにする。じっさい、わかってしまえばこのテキスト、構造主義を明快に整理してまとめたレジュメとしてすごく高性能であるようである。なので、とにもかくにも、読み得なテキストやと思う。
で、新訳がドゥルーズの論文集『無人島』の2冊目のほうに載ってるというのに最近きづいた。で、以前、『無人島』を書店に注文するとき、うっかり2巻本だと気づかずにたんに『無人島』とだけ発注したので、1冊目のほうしか届かなかった。ので、2冊目を買わないと。
旧訳だと、1975年時点での中村雄二郎訳っていうのが、気になるんである。やはり、同時代の人の訳の方が、同時代的な訳し方をしていてわかりやすいんじゃないだろうか、と思ってしまう。

無人島 1969-1974

無人島 1969-1974

明日、駅のところの大きな本屋で探そう。