悟った「3倍大げさに描く」漫画家 三田紀房(みたのりふさ)さん48

読売新聞のサイトの教育欄の、「あのころ」というインタビューのコーナー。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/hagukumu/anokoro/20060327us11.htm

さいころは、家の洋服店で働く仕立て職人さんが遊び相手。ミシンを黙々と踏み続ける様子を見て育ちました。小学生のころから絵が得意で、地元のコンクールで何回も入賞しました。職人さんの影響で、長時間、一つのことに打ち込むのは得意だったかもしれません。

 〈少年時代は漫画をあまり読んだことがない。大学時代、漫画家の村上もとか氏と出会う〉

 義姉と村上先生の奥さんが友達で、お宅に顔を出すようになりました。話の内容から筆致まで、自分の描いた通り読者に届く漫画というものに魅力を感じました。卒業後に家業の洋服店を継いだのですが、赤字続き。最善を尽くしても、気候や取引先の都合で失敗する。そこで、努力が成果に直結して自己完結している仕事を探していたら、漫画雑誌の新人賞募集の広告が目にとまり、応募。2度目で新人賞を受けました。

 〈漫画誌・モーニング(講談社)で連載中の受験漫画「ドラゴン桜」が大ヒット〉

 10年ほど前、ある漫画誌の編集者に「読者投票で1位を取ろう」と熱く説かれ、読者の喜ぶ描き方を模索した。1位の作品をまね、1ページを1コマにしたり、大胆なせりふを言わせたり。1位を取ったとき、読者は3倍大げさに描かないと納得しない、と悟った。私の殻を打ち破ってくれたこの編集者との出会いは転機でした。「ドラゴン桜」でもこの手法を生かしています。

 東大受験漫画を描いていますが、僕は東大を目指したことなどなく、学習法のアイデアは、東大卒の編集者に出してもらってます。

 私には、特別な才能はなく、先人のやり方をまね、周りの人の助言を受け入れる素直さがあっただけ。素直さがあれば出会いを生かせるはずです。「才能がないから無理」とあきらめないで、周りの人の助言に耳を傾け、試行錯誤してみることが大切だと思います。(聞き手・仲川高志)

 1958年、岩手県北上市出身。30歳の時、講談社の新人賞を受賞し、漫画家デビュー。代表作に昨年、同社漫画賞(一般部門)を受賞した「ドラゴン桜」のほか、「クロカン」「甲子園へ行こう!」など。

(2006年3月27日 読売新聞)

ドラゴン桜』っていう漫画もドラマも見てなくて、絵柄を見たらいかにもうんざりする感じだというのが印象なのだけれど、その作者の人がこういう割り切りをやっていたのかというのは、いろんないみで、やはり書き留めておくべきだろう。

1位を取ったとき、読者は3倍大げさに描かないと納得しない、と悟った。

っていうスタンスには、とうぜん、割り切りが含まれていて、それを読者に対するあきらかな侮蔑といってもいいのだと思うし、それが「東大受験漫画」であるということもふくめて、ずいぶん違和感はあるのだけれど、割り切るということはつまり割り切るということなので、つじつまはあっているのかもしれない。