「教育基本法改正案に対する日本社会教育学会会長の意見」

自分が会員ではないけれど、ふかぶかと関係のある学会のHPで公開されたもの。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssace/appeal0909.html

教育基本法改正案に対する日本社会教育学会会長の意見
日本社会教育学会会長 佐藤一子
賛同人(歴代六期会長)   
朝倉征夫・上杉孝實・小林文人
酒匂一雄・島田修一・千野陽一
 はじめに
 日本社会教育学会は、社会教育・生涯学習の研究・教育・実践に関心をもつ研究者・職員・市民など約千人が加入している学会です。私たちは、社会教育の研究と実践に専門的に従事している立場から、2006年4月28日に提出され、国会で継続審議となっている教育基本法改正案(政府提出)に強い関心をもっています。会長意見の表明についての理事会の承認と意見内容及びその公表についての歴代会長の賛同をえて、会長の立場で以下の論点について意見をのべたいと思います。
 戦後直後、教育の専門家、行政関係者たちが高い識見と衆知を集めて教育基本法を制定した過程に思いをはせるとともに、今日の改革論議が党利党略のもとで、広く教育に従事する人々の専門的な見解を排除して進められていることに強い危惧の念をいだきます。国会および広く社会的な討論の場において、私たちの意見が改正案の問題点を掘り下げる視点として活かされるよう強く要望します。

1 改正をおこなう理由について
 日本の教育のあり方の基本原則を定める教育基本法改正であるにもかかわらず、教育基本法の改正案の内容自体があまり国民に知らされておらず、国民的な論議をふまえない拙速な法改正となっていることは誠に遺憾です。教育基本法を全部改正するということは、教育の基本原理の転換が必要ということですが、何から何への原理転換であるのか、また、その転換が必要だとする根拠は何なのでしょうか。納得のいく説明がありません。
 教育基本法が古くなった、青少年の問題行動が深刻化している、道徳心が欠如している、などの論議がなされています。しかし、今日の教育の困難、青少年の生き方や成長発達にかかわる困難は、現行の教育教基本法が原因なのでしょうか。むしろ教育基本法を活かす施策が十分におこなわれてこなかった点をていねいに検証すべきです。
 憲法の精神に則っているこの前文の改訂がなぜ必要なのか。国際的、歴史的認識をふまえた説得的な説明を求めます。日本国教育基本法案(民主党案)も、新法を制定する根拠の説明が不十分です。いろいろな意見がもりこまれている法案ですが、教育基本法は、いろいろな教育的見解を陳述するような性格のものではなく、できるだけ簡潔に原則を定めるべき性格のものです。
 きわめて完成度の高い現行の教育基本法が、なぜ改正されなければならないのか。個別法によって十分対処できるのではないか、改正する理由について納得ができません。

2 第二条(教育の方針)、第七条(社会教育)と改正案第二条(教育の目標)について
 教育基本法第二条(教育の方針)では、「教育の目的」は、「あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない」と規定し、教育が学校だけではなくさまざまな社会的な機会においておこなわれることの重要性を提起しています。第二条は制定過程の論議をみても、社会教育の重要性についての認識、さらにはどのような原理に即して社会教育が推進されるべきかについての原則を示している条文であるといえます。
 特に、「学問の自由を尊重し」「実際生活に即し、自発的精神を養い」「文化の創造と発展に貢献する」という現行法第二条の文言は、戦前の軍国主義的国家体制のもと、国民に真実が知らされず、教化的な教育がおこなわれてきたことの反省にたって、国民がみずから学ぶことを重視した条項となっています。ユネスコの「成人教育の発展に関する勧告」(1976年)の採択を機に国際的にも関心が高まる成人教育について、戦後当初に明文化した先見性のある規定といえます。
 さらに、第七条(社会教育)は第二条を受けて、「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない」と規定しています。すなわち、国民が自由に自発的に展開する多様な学習文化活動を国・自治体が奨励し、環境醸成するという趣旨で、国民の学習の自由を国が保障する原理が、第二条と第七条によって一体的に規定されていると理解することができます。
 しかし改正案第二条では、二○に及ぶ徳目を「教育の目標」として法定し、「実際生活に即し、自発的精神を養い」「文化の創造と発展に貢献する」という文言は削除されています。このことは、改正案第十二条に新たに規定されている社会教育も、国家的な教育目標のもとで統制されることを意味しています。
 現在、学校現場で具体化されている愛国心に関する通知表の評価では、国の政策をよく理解することが愛国心を示すことであるというような国家主義的な考え方が強まっています。社会教育の現場では、多様な価値観をもち、民族や宗教も異なる成人が多元的・多文化的な立場で、相互に批判的に学ぶことができるような学習の自由の保障が何より重視されねばなりません。
 第二条(教育の方針)が法定の教育目標を列挙した条項に改正されることによって、学習の自由が制約され、国家的に正統化された価値にもとづく社会教育の推進が強められることになると懸念されます。

3 改正案第三条(生涯学習の理念)の新設について
 第二条(教育の目標)を受けて、改正案第三条(生涯学習の理念)が新設されています。ここでは社会教育条項との関連で生涯学習をどう定義するのか、明確な概念規定がなされていません。また、上述したように、第二条で教育の目標を国家的に定め、その規定のもとに「生涯学習の理念」をおくことは、国際的に趨勢となっている「自己主導的な生涯学習」(self-oriented learning)の理念にも反しており、大きな問題です。
 現代社会における生涯学習は、テレビで英会話を学ぶなどの私的な行為やカルチャーセンターなどの市場的学習機会の提供をふくむ幅広い学習行為・学習機会として理解されています。1990年に制定された「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」では、教育政策を超えた市場の学習文化機会に対する産業育成政策的な側面や労働福祉政策的側面もふくめて生涯学習を幅広くとらえています。このように多様で、市場の自由や営利行為までをもふくむ生涯学習について、明確な概念規定や限定をおこなわずに、公教育の法構造のもとに位置づけることは、民間活力にゆだねられている部分もふくめて、生涯学習の自由なとりくみを制約することになると考えます。

4 「勤労の場所」の文言の削除について
 現行第七条(社会教育)では、「勤労の場所」という文言によって、勤労者の職場学習、企業のおこなう教育、資格取得などの成人の教育・学習を位置づけています。成人の学習にとってきわめて重要な教育領域を示すこの文言が削除されたのは何故でしょうか。
 改正案では第二条「教育目標」の2項に「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んじる態度を養う」という文言がありますが、現行法の「勤労の場所」の規定は、上述した「生涯学習の理念」と同様、国家的教育目標のもとに限定されるものではありません。
 勤労者の教育は、現在、フリーターや外国人労働者、女性などにとって切実な課題となっており、学習を権利として保障することが求められている重要な領域でもあります。第七条をさらに現代的に拡充するならば、ILO有給教育休暇条約(一九七四年)やユネスコ学習権宣言(一九八五年)などに言及し、生涯にわたる学習の権利の実現という視野が求められていると考えます。

5 改正案第十条(家庭教育)、第十三条(学校、家庭及び地域住民の相互の連携協力)の新設について
 家庭教育、父母・住民の学校運営への参加や協力は、現行第七条(社会教育)の範疇に位置づけられ、近年、子育てネットワークや教育ボランティア活動などをつうじて活発にとりくまれている領域です。子育てを個々の家庭内部の営みにとどめず、地域社会で父母・住民が共同でおこなう活動や相互の学びあいの奨励、家庭の子育て困難への支援や父母・住民と学校との協力の促進などが社会教育活動として推進されています。
 しかし、改正案で新設されている第十条(家庭教育)では、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする」という文言で、国が父母・保護者に対して法的に「努力義務」を課しています。
 同様に、第十三条(学校、家庭及び地域住民の相互の連携協力)でも「学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする」として、「努力義務」を課しています。
 この二つの条文は、従来、個々の家庭や父母・保護者の考え方の自由をふまえたうえで、社会教育をつうじて社会的活動を促進・支援するという原理を転換させ、国が直接保護者にたいして自己責任にもとづく努力義務を強制し、しかもその方向を第二条(教育目標)によって国家的に方向付けるという新たな社会的統制をもたらすことになると考えます。
 今回の教育基本法改正については、特に愛国心をめぐって内心の自由の保障に反するということが重要な論点として指摘されています。社会教育は、すでに述べてきたように、内心の自由にそくした自発的な営みによって成り立っている領域であり、国・自治体は、あくまでもそれを奨励する責任があると規定されています。第十条、第十三条の新設は、こうした社会教育の基本原理について根本的な転換をもたらし、国家統制的な体制づくりをつうじて、社会教育の自由で民主的な発展を妨げることになるといえます。
 また、DVや引きこもり、家庭崩壊などの社会的困難が増大している状況にたいして、あるべき規範にそった狭い視野から家庭教育を強調している改正案は、問題を個人責任にゆだね、現状への有効な支援方策を遅らせることになると危惧します。

6 第十条(教育行政)の改訂、第十六条(教育行政)、第十七条(教育振興基本計画)の新設
 社会教育法では、「都道府県・市町村に社会教育委員を置くことができる」とされ、その職務として「社会教育に関する諸計画を立案すること」をあげています。公民館・博物館・図書館などの社会教育施設にも運営審議会、運営協議会などの住民参加制度が設けられています。多様で自主的な活動領域を包摂した社会教育計画と施設運営において、住民自治の尊重、民意反映の手続きが制度化されていることは、これからの地方分権の時代においていっそう重視されるべき事柄です。
 このような制度の根拠として、第十条1項の「教育は・・・国民全体に対し直接責任を負って行われるべきものである」という文言が大きな意義をもってきたといえます。改正案ではこの十条の文言が削除されています。新設されている第十六条(教育行政)で「国と地方の適切な役割」がいわれていますが、民意の反映については言及がなく、第十七条(教育振興基本計画)で、わずかに「その地域の実情に応じ」という文言がはいっているだけです。このような文脈では、第十六条の「不当な支配に服することなく」という文言についても、国・地方公共団体の教育政策を批判する市民団体・労働団体などが、「不当な支配」をおこなうとみなされる可能性があります。民意を尊重した現行法とは逆の原理が表現されていると考えられます。
 学習者がみずから地域の教育計画や施設運営にかかわるという参加の原理は、住民と行政との協働の発展が期待される地方分権の時代にますます必要であると思います。改正案は教育基本法がめざしてきた戦後の民主的な教育行政と計画理念を否定しています。「新しい時代の教育理念を明確化する」という提案理由に反して、時代を後退させるものといえます。

 以上、六項目にわたって、主要な論点をあげて改正法案の問題点を指摘しました。
 教育基本法第二条で教育の社会的なとらえ方が示された背景には、第二次世界大戦・アジア太平洋地域の戦争の惨禍についての痛切な反省があります。平和で民主的な国家、国際社会と共存する国家の構成員として能動的な国民を育成する教育のあり方を示した教育基本法は、古くなったどころか、いまだ道半ばにあるというべきでしょう。こうした教育の理想の実現は学校だけでは達成されないという認識にもとづいて、社会教育を公教育として振興することが規定され、あわせて政治教育を尊重することもうたわれたのです。
 私たちは、教育基本法の意義を当時の歴史状況にたちかえって深く認識し、より困難を増している現代社会のなかでそれを活かすことこそが必要であると考えます。
2006年9月9日

さてしかし、かなり手作り風の学会HPに掲載されたこの文章を(あるいはHPにアップされる元の文書を)、じっさい何人の人が読んで、それが具体的などんな効力を持つことになるのだろうか?
意見の内容はともかく、こういうリアルな問題に対して明らかに関連の深い研究をしている研究者がこうして声明を出したとして、それが読まれること、理解されること、賛同を集めること、効力を持つこと、といったことの、道筋が見えないんである。
昨日おとついの学会(じぶんとこの)でお話させていただいた先生に、なんかこう、無力感みたいのをぼやきたおして、聞いていただいていたんである。先生は、そういう、現場や研究者の声が届かない(無視されたり、敵視されたり、あるいは適当に歪曲して利用されたりする)ような制度のしくみ(メディアとかまで含めた)から大きく分析してみないといかんというてはったんで、それはほんまにそやと思う。その上で、戦略をたてて発信してかないといかんのやろう。
たぶん。