魁皇くん引退。おつかれさま。

ちょうど最後の取り組みを見た。試験期間で学校が早く終わったのでうちに帰って、なんとなく相撲をつけていて、魁皇くんの取り組みだけがたのしみだったわけなので、おっ、といってそのときだけ見た。負けてしまったのだけれど、うーん、今場所はこんなかんじかなあ、と思っていて、それでしばらくしたら番組終わりぐらいで、魁皇くんの情報として、親方と話をする、みたいなことをちらっと言っていて、おや?と思ったというかんじ。
魁皇くん、ファンだったなあ(気は優しくて力持ち。 - クリッピングとメモ)。いい力士で、にっこりわらって引退。よかった。おつかれさま。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/518928/

気は優しくて力持ち…真のおすもうさん、魁皇引退
6月上旬の「東日本大震災巡回慰問」。行く先々の避難所で魁皇は人気の的だった。魁皇も、どんなに多くの人が集まっても嫌な顔一つ見せず、笑顔でサインをし続けていた。腰に持病を持っているにもかかわらず、子供やお年寄り相手には腰をかがめてペンを走らせる、その姿に優しい人間性がうかがえた。
子供のころから力が強く中学時代にはスチール缶を片手でつぶして片づけていたという。リンゴを握りつぶしたとか、握力計の針を振り切ったとか、怪力の逸話には事欠かない。人前で裸になるのをいやがり、相撲が好きではなかった少年は、その体格と力を見込まれて15歳で角界に入った。
 同期で後に横綱になった曙や貴乃花、三代目若乃花らに出世で後れを取ったが、懸命に努力し続けた。38歳まで大関を張り続けられた理由を、同い年の貴乃花親方は「勤勉さ」とみる。誰しも体調が悪いときは稽古を休みたくなるが、魁皇は場所中も欠かさず稽古場に降りて、しこやてっぽう、ぶつかり稽古と、汗を流し続けてきた。
 昨年の野球賭博問題や今年の八百長問題では、現役力士唯一の評議員として協会と力士の間で奔走。心労もあって5月技量審査場所前の体重は初場所から9キロも減。「体がしぼんだ」と漏らしていた。さらに震災慰問で長時間のバス移動を強いられ、腰痛が悪化。名古屋入り後は毎日片道2時間かけて、かかりつけの治療院に通うなど懸命の努力を重ねた。
 13度もカド番を務め、引退を迫られた時期もあったが、決してあきらめず現役にこだわった。しかし努力しても大関らしい土俵を務められなくなったと判断したのか、14度目のカド番を待たず、潔く身をひいた。「気は優しくて力持ち、真面目で努力家、潔い」−。真に“おすもうさん”らしい力士が土俵を去った。(只木信昭)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110720-00000584-san-spo

魁皇引退 「最高の相撲人生を送れた」 今後は“親方修行”に
産経新聞 7月20日(水)17時43分配信
 日本相撲協会は20日の理事会で、大関魁皇(38)=本名・古賀博之、福岡県直方市出身、友綱部屋=の引退届と、年寄「浅香山」襲名願いを受理、魁皇の引退が正式に決まった。これを受けて魁皇は同日午後、名古屋市内のホテルで引退会見し、「あまり(引退の)実感はないが、一番最高の相撲人生を送れたと思う」と話した。
 今後は友綱部屋付きの親方として後進を指導する。「(角界は)厳しさがあるからこそ、いい世界。それを残してきたいし、うまく伝えたい」とした。自身の部屋については「いろいろ勉強し、おぼえたところでもてたらと思う」と将来像を描いた。師匠の友綱親方(元関脇魁輝)は“親方修行”の期間を「まずは2年」とした。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/518900/

「感謝でいっぱい」魁皇引退コメント全文
魁皇コメント全文
 魁皇は相撲記者クラブ幹事社を通じて、以下のコメントを発表した。
 
「やっと終わったな、長かったと思う。
振り返れば、いろんな人に支えられ、応援してもらった。そういう人たちがいたから、ここまでやってこれた。
23年間の相撲人生は長い。簡単には振り返れないけど、すべての人に感謝したい。言葉にできないほど感謝でいっぱい。魁皇としての人生は最高でした」