通勤電車で読む『なぜ勉強させるのか?』。筆圧が強いが悪くない。

なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える 光文社新書

なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える 光文社新書

プロ教師の会の人、で、読んだと思ってたら読んでなかったので非常勤先の学生さんに勧めた勢いで読んだ。面白かった。教職の授業で、「100ます計算」陰山英男と併せて紹介したのだけれど、やはり感触はかなり違うね。ノリそのものでいえば、昔「プロ教師の会」が出てきて初めて接したときは「え〜?」と思っていて、「100ます計算」が出てきたときは「へえ〜」という感じだったので、「100ます計算」のほうがなじみやすいノリとは感じたのだけれど、でもなあ、というかんじ。前にも書いた(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20121008#p2)ように、100ます計算はいかにも2000年代的な薄っぺらさがあり、その点、諏訪哲二という人には(以前、小浜逸郎が書いてたと思うけど)やはり一筋縄でいかない味わいがあって、その屈託というか屈折というかそういう部分が、主張の内容そのものはさておいて、厚みっていうかようするに信用したくなる感じはある。でもって、この諏訪という人、実は教育社会学会員(だった?)んで、教育社会学の研究を参照して論を進めていて、議論自体も、社会の変化から論を起こすようになっている。そのへんが、いくぶんか「昔マルクス主義を読んでました」(あるいはマルクス主義を論破する理論武装のために勉強しました)というようなかんじの、なんていうか世代的な雰囲気を感じさせつつ、そういう人が高校の先生になって自力で思考し理論武装して、また教育社会学を勉強して語っている、というふうに読めるわけで、言葉遣いが一部自己流っぽくて引っかかる気がするものの、悪くないかんじなのである。とくにこの本などは、学校どうこうというより社会と教育を大きく論じてる感じがします。
うちの学生諸君にももうひと押し勧めよっかな。