通勤電車で読んでた『しょぼい喫茶店の本』。

しょぼい喫茶店の本

しょぼい喫茶店の本

茶店本でおもしろそうかな、と思って読み始めたら、うーん、いまいちだった。帯にはネット有名人みたいな人の「絶賛!!」という推薦文がならんでいて、まぁそんなかんじの本。

通勤電車でとばし読み『ビジネスの限界はアートで超えろ!』。

ビジネスの限界はアートで超えろ!

ビジネスの限界はアートで超えろ!

もう少しアート寄りかとおもっていたけどすがすがしいまでにビジネス寄りだった。

『居るのはつらいよ』読んだ。はずれなしでおなじみ「シリーズ ケアをひらく」の一冊。

学生のときに、カウンセリングの実習をとっていて、グループワークでエンカウンターみたいなのがあったのだけれど、自分はとにかくしーんとするのがいたたまれなくまた時間がむだになるきがして、どんどんしゃべっていたものだった。それであとで臨床心理の同級生にそのことを言ったら、やれやれという調子で、エンカウンターグループというのはしーんとするときもあるし沈黙を味わうということも重要なのであるということを言われた。そういえば実習の担当の先生にもややそんなことを言われていたような気もするが、それを聞いて、なるほどと思ったのが半分と、しかしそんなことをいって申し合わせたように沈黙しているのも自分的には不自然な気がするからまあいいやと思ったのが半分だった。それでも、ほんとうにカウンセラーになろうという人にとっては、しーんと何も喋らないで何もしないでただ居るということが重要だしそれは難しいことだしだから訓練してその力をつけないといけないのだということはわかったし、なるほどと思った。まぁたとえばカウンセリングなんかで、30分なら30分、じっと黙っているクライアントさんがいたとして、それにたいしてこっちがあせったりいらいらしたりすることなく、ちゃんとクライアントさんに対して気持ち的な意味で向き合いながらごくふつうにスッとその場に居ることが重要で意味があるのだ、みたいなこと。まぁそのようなことはじつはそのときだけでなくてたぶん授業のときにも聞いたような、あるいはそういう本で読んだのかもしれないし、また臨床心理の同級生としゃべっているときに自然にそういう話になったりとか、まぁじつはそういうはなしは、自分のようなちょっと外れたところ(なにしろ、臨床心理の実習や演習に顔を出したり臨床心理の同級生たちとつるんでいたりしたものの、社会学のコースの院生だったわけだし)にいる人間であってさえ、けっこう入り口のほうで目にしたり耳にしたりしていたもんだったわけで、だから、まぁ世代がぜんぜん違うしカリキュラムも授業名も変わっていただろうけれどたぶん同じ教室で同じ演習や実習を受けていたうえに博士号まで取ったこの著者の人であれば「ただ居ること」の重要さというのは、いうまでもなくさいしょからわかっていたことなはずではあるのだろうと思いながら読んでいたわけだけれど、ともあれ、博士号を取得してカウンセラーとして(というか契約上は外来のカウンセリングルームでのカウンセラーとしての仕事が7割のはずが、じっさいはすっかりデイケアのしごとが日常に入り込んでくることになって合計17割に…)沖縄の精神科デイケア施設で働くこととなった著者の人は、のっけから「ただ、居る、だけ」ということに戸惑ったというわけである。まぁ、しかしそこから、その施設の日常をユーモアを交えてこまやかに描きながら「ただ、居る、だけ」について、ケア/セラピーという対を伏線にしつつ論じ、そしてしかしそのデイケア施設の、著者の人にとっての夢の時間のごとき日常は著者の人のいた4年間であっというまに変化して - 少なくとも著者の人がこの職場を離れるといういみで - 終わりを迎えることになる、それはだから、敗北に次ぐ敗北、辛いといえば辛いおはなしなのだけれど、最終章で真犯人の名が明かされたときに、うーんそれはここにきてありきたりだなあと思うか、しかし、ありきたりなやりかたで真犯人の名が明かされさらに問題が未解決であるどころかさらに深刻であることがこれまたありきたりに語られることも著者の人がこうした一連のできごとを語りなおすときにそのようにしか語れないのだと思えばそんなものかと思い、さらにあとがきでこのおはなしの登場人物の人たちについて気になっていたことについてさらっと説明がなされていてそれはまぁそうだなと思い、まぁしかし面白かったのでよかった。

電車の中で飛ばし読む『すべての知識を「20字」でまとめる紙1枚!独学法』。たとえば「日本史の本質とは、何か」を20字以内で。

この著者の人の本は、どうやら何年か前に読んでた。
『トヨタで学んだ「紙1枚!」にまとめる技術』。初年次教育にいいかも。「エクセル1」はマインドマップの原理。 - クリッピングとメモ
この人はとにかく「紙1枚!」というのがミソらしいのだけれど、このたびはさらにエクストリームで、「すべての知識を「20字」でまとめる、というのだ。それは読んでみなくてはと、今日は学外の公開講座のコーディネート役のおしごとから帰る電車で読んでた。
でまぁ、なぜ20字かというと、短くなければ残らないし使えないからで、日本語は俳句がそうであるように物事の本質を言うために20字あればたりる、それで本質を言い当てられるし、そこまで詰めた本質は残るし、使えるよということなのだった。ほうほう。
それで、あともうひとつ、たとえば勉強をしてその本質をまとめるときに重要なのは、「何のために勉強してるか?」という目的である。目的さえ意識すれば、その目的のために必要なこと以外は関係ないわけだし、その目的のために必要なことだけを選りすぐって本質をまとめると、自分にとってすぐ活用できるものになる、というわけ。ほうほう。
そうやってインプットし、同様のやり方で本質を的確にアウトプットし、そして他者貢献することで知識を活用するのだ、というわけである。
たとえば、ということで、インプットの例として、教養を身につける、複数の本をどんどん読んで本質をつかむ、ということで、たとえば「日本史の本質とは、何か」を知ることを目的とする。そして井沢元彦さんの著作を大量に読む中で見出したのは、

「祟られたくないから」、が日本史の原動力

という本質であると。
ほうほう。

『1日のタスクが1時間で片づく アマゾンのスピード仕事術』読んだ。

著者の人がアマゾンジャパンで働いていたのだ、ということが書いてある。多少、ふつうの仕事術の本に書いてあるような会議のやりかたみたいなこととかにも触れられてるけど、それ以上にとくに仕事術のようなことは書いていないので、この本を読んだからといって1日のタスクが1時間で片付くようになるわけではないです。まぁ誰だってこの本を読んだからといって1日のタスクが1時間で片付くようになるとは最初から思っていないわけで、そういういみではなんら問題ではない。