通勤電車で石原千秋『漱石と三人の読者』

漱石と三人の読者 (講談社現代新書)

漱石と三人の読者 (講談社現代新書)

普通に読んだ。これはいいのか? 石原という人の名前は、『教養としての大学受験国語』(ちくま新書 ) という本の評判で知って、その本は以前買って、読んでないんだけれど、
この本、ゲヒン装丁第一弾記念で買って読んでみたら、うーん、さほど感激しなかった。
さしあたり、「三人の読者」ってのはやっぱし嘘で、「三種類の読者」のことが書いてある。それが、1)直接顔のみえる、門下生とか高額で本を買ってくれる少数のエリート読者、2)ぼんやりと顔の見える朝日新聞中流の読者、3)のっぺらぼうの読者、というのだけれど、ふたつめは匿名的だし、みっつめは、そもそも非人称だとおもうので、「三人」という呼び方はちがうでしょうと思う。
で、れいによってななめよみなのでうまくいみがとれてないかしらんけれど、3番目の読者というのが、何を指しているのか、で、揺れてるようなきがする。石原という人は、もともとテクスト論の人であるらしく(この本ではそれを禁じ手にして漱石本人の作家的意識を実体として論じている)、テクスト論のような読みをする読者、というのが3番目に入れられてるのかな?とも理解しようとしたけれど、そういうふうでもないことも書いてありそうだし。
まぁ、電車の行き帰りで揺れながらちょっと酔いながら(アルコールでなく、通勤電車に酔います)読んでたので、ちゃんとまた読むことがあったら変わるかも知れない。

でもなあ、

漱石というと、昔読んだ奥泉光『『吾輩は猫である』殺人事件』がよかった。今日のはそれより薄かった。

『吾輩は猫である』殺人事件 (新潮文庫)

『吾輩は猫である』殺人事件 (新潮文庫)