(教育相談)子供の日記全文を名前入りで学級通信に掲載する担任に違和感

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/qanda/consul/20060526wn02.htm?from=os2

質問 東京都、女性

 小4の長男のクラスでは「書く力を見るために」ということで日記指導が始まり、「継続力」と「丁寧力」に焦点をあてて指導して頂いています。書くことが得意ではない長男には大変ありがたいことなのですが、子供たちの日記の全文をそのまま名前入りで学級通信に載せてしまうことに、違和感を覚えます。前年の担任も同様でしたので、長男はだんだん思ったことをそのまま書けなくなりましたので、「日記ではなく作文だから」と言って書かせました。今年度の担任は勤続15年のベテランなので、何の疑問もなく自信を持ってやっているようです。子供たちの写真の掲載などには気配りをいただけるのに、日記は最初からパブリックなものというスタンスです。学校全体のことらしいので言ってみても無駄かと思いながら、いつも気になります。このまま日記を書かせ続けてもよいのでしょうか。アドバイスをお願いします。

回答 山田中学生問題研究所代表 山田 暁生

 私も学級担任をしていた時は生徒に作文をよく書かせていました。1年間に50回ほど書かせた年もありました。「山田先生のクラスに入って、とてもイヤなことがあります。それは、何かあるとすぐ作文とか感想文を書かされることです」と書かれたことがあるくらいです。それを書いた女生徒が今は幼稚園のベテラン先生になっていますが、「今はあの時の“練習”のお陰で、どんな文章でも抵抗なく書け、保護者や子どもたちへのコミュニケーションにも大変役立ち、もし、あの時先生がいやなら止めとこうと書かせることを止められたら、今の私はなかったと思います」と、後に手紙をくれたことがありました。

 こうした体験がある私は、お子さんが苦手なるがゆえに、今こそ学校の指導の流れの中で日常的に書く習慣を身につけることは将来役に立つ力になるのではないかという思いがあるのです。学校としても、「日記を書くことによって、継続力、表現力、物事を深く丁寧に見る力などを身につけさせ、生きる力にさせたい」という教育的配慮を実践しているのではないかと思います。

 しかし、お母さんはそれを否定しているわけではありません。むしろ感謝をしていらっしゃるようですね。問題にしておられるのは、書いたものは何でもそのまま衆目にさらされることの良し悪しです。「日記はパブリックなもの」という考えは私も反対です。「プライベートなもの」です。そのことを配慮して、時にはある部分をカットしたり、氏名を匿名にするなどの配慮をする必要があります。氏名も含めて全文を掲載したい場合は書いた子どもに一言「このまま載せていい?」と承諾を取り、そうする意図を理解させることも著作権意識を育てる上で大切なことだと思います。それをしなければ、自分の本心を隠して「作文」するしかないでしょう。

「ウソの日記を書かせる」という受け止め方をせず、もっと気楽に気持ちを書こうねという考え方でお子さんにも継続させてはいかがでしょうか。

ていうか、
学級通信に載せることはたぶん最初から確認してあるわけなので、いわゆるプライベートな「日記」とは別物の作文であることは最初からわかったことなんではないか。

長男はだんだん思ったことをそのまま書けなくなりましたので

というのが母親の訴えなのだけれど、そもそも学校で指導されて書く作文に「思ったことをそのまま書く」ほうがまちがってるんであって、「思ったことをそのまま書」きたいんならそれこそ自分のために自分で日記でも書けばいいんである。ただ、それは他人が読むに値しないものになるだろうし、それで結構っていうつもりで書く種類の文章になるだろう。それは、学校が教育によって目指すことではないんで、この母親という人はそこをそもそも勘違いしているんでしょうとおもう。