日系2、3世:「自分史」で疎外感緩和 長野の教諭報告

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20050110k0000m040123000c.html

日系2〜3世ブラジル人の児童・生徒が多い長野県飯田市で、「自分史」作りなどを通じて疎外感を和らげる試みが続けられている。日教組の教育研究全国集会(札幌市)で報告され、自治体の財政難から日本語教室が減っているといった問題も指摘された。

 報告した市立高陵中の金森茂教諭によると、市内では80年代後半から外国人労働者が急増、日系ブラジル人だけで約40〜50人が通学する。在日期間が長く日常会話はうまいが、母国語はほとんどできず、進路など将来への明確なイメージを持てない子が多いという。

 3世の男子が2人いた。3〜8歳で来日して母国の記憶がほとんどないため、金森教諭は日系3世としてのアイデンティティー作りに力を入れた。自分のルーツを家系図にまとめたり、幼いころのエピソードを両親から取材させて「自分史」としてカードに書かせた。

 「お父さんの友達で、サッカーがうまい人の名」「お母さんの初恋の人の名」。2人は誇らしげに自分の名前の由来を書いた。「自分の名に込められた思いを知り、家族との思い出を振り返ることで存在の原点を改めて認識するようになった」と金森教諭は話す。2人は昨春巣立っていった。

 ただ、市内の4中学校にあった日本語教室は1校に削減された。将来を見据え、母国語の学習をどう保障するかも課題として残っていると金森教諭は指摘する。

 外国から来た子のコミュニケーションなどをどう支援するかは、東京で昨年、5歳男児が突き落とされた事件でも問題になった。マレーシアから帰国した中2の加害少女について、東京家裁は昨年9月の審判決定で「5カ国語で日常会話を一応話せるが(いずれも不十分で)言語能力を伸ばす必要がある」と指摘した。【千代崎聖史】

毎日新聞 2005年1月10日 3時00分

まぁ、うまくいきました、という事例報告ですな。うまくいかなかったり逆効果になったりすることもとうぜんありうるだろうけれど、うまくいきましたの部分だけ報告するわけで。
それはそれとして、
うまくいくにせよいかないにせよ、また、日系ブラジル人子弟にかぎらず、
「自分史」を書く、というのは、学習のメニューとして、きょうみぶかいし、ポピュラーだ。
生涯学習講座「「自分史」を書く」とかね。
http://www.n-gaku.jp/life/dtl/4J0.htmlhttp://www.n-gaku.jp/life/dtl/4J0.html
web上にたとえばこういうところで「日記」みたいなものを書く人が多いということとおなじはなしで、やはり、「書く」というのは、なにごとかではある。この↑事例なんか、書くことによってヘーゲル的主体の下に自分史物語として自己を統合しちゃおうという主体化、とかなんとかなわけでしょう?規律訓練もいいとこなわけで。まぁ学校だからとうぜんなんでそれがいいとか悪いとかの話ではないのだが。
まぁ、「日系3世としてのアイデンティティー作り」と「疎外感緩和」が両立するのかどうか、というのも、微妙かもしれないのだが(記事を読むかぎり、ルーツというより「家族」アイデンティティに回収しようとしているようにみえなくもないし。あとブラジル=サッカー、みたいなステレオタイプか、とか。それでいいのか、とか、まぁ日教組的にはそのへんがちょうどストライクなのかしら、とか)。
また、逆に、書くことによって自己を散逸させていく − モネの花畑のように − という方向性だってあるわけで、まぁそれを学校が指導するとは思えないし教研集会でウケるとも思えないのだけれど、なにはともあれ、
とにかく「書く」というのはなにごとかではある、と。
よきにつけあしきにつけ。
ライフヒストリーとか、ライフストーリーとかいうキーワードでそのへんの研究も流行っている。
よきにつけあしきにつけ。