『新潮』のデリダ追悼の鼎談。

http://www.shinchosha.co.jp/shincho/200502/derrida.html
「小特集 ジャック・デリダ Re‐membering Jacques Derrida」と題して、
柄谷行人鵜飼哲浅田彰 という面子の鼎談。
上記URLで「冒頭部の立ち読み」ができるけれど、
まあ読まなくてもある意味わかるというか、柄谷行人が入っている限り、柄谷という人はいつもながら自説をしゃべりまくるわけで、そうするとひとことでいうと、
デリダは結局、柄谷の言ってる事に近いことも言えてたのでそうすてたもんでもなかった」
というふんいきで、いつのまにか柄谷説のおさらいのダシにデリダがつかわれたようなことになっている。
浅田+柄谷+デリダ、という昔の『朝日ジャーナル』の鼎談も再録されていて、
これまた柄谷が自説をしゃべりまくって、なんだかフーコーを前に張り切った吉本隆明みたいなかんじになっていた。
ちなみに
いっこまえの1月号では、
蓮實重彦がやはり短い文章を特別寄稿していて、
ところがこれは、『エクリチュールと差異』所収のデリダのデビュー作に近い論文を叩くもので、
これまたいつもながらの蓮實節で、
中上健二がなくなったときに何も書かないでおこう、書くとしたら徹底的に叩くしかない、と思ったとかなんとか、あとで高橋源一郎と対談で言い合っていたのだけれど、
それをやったのかな、という感じ。