「憂国呆談」中内功の功罪・毛沢東思想の引用!! / 『スーパーの女』

http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200510/index.html

田中
 中内の原点って、戦争体験なんだ。フィリピンの戦場で地獄のような飢餓を経験して、死ぬ前にスキ焼きを腹いっぱい食いたいと強烈に願った。その思いが、安い商品を豊富に提供する原動力になった。当時、出荷額の三倍で電気製品を売ってた松下に挑んだのも同じ哲学だよね。僕はそれはある段階までは正しかったと思う。そして彼はその哲学に従って細かいことまで全部指示したんだよね。中内はやっぱりお客のためっていう思いが強かったんだよ。でも、彼は晩年に「消費者が見えなくなった」と言ったわけ。それはまさに真実の吐露だと思う。高度成長期が終わり、モノが溢れる時代になると、彼にはお客が見えなくなる。・・・
浅田
 実際、1960年代で言えば日本を代表する経営者の一人でしょ。彼が唱えた「流通革命」って、著書である『わが安売り哲学』にもあるように、毛沢東思想の引用だったりするんだよね。人民が飢えているときに安い商品を大量に供給する、と。
田中
 彼の軌跡はまさに戦後の日本。だからこそ、今や日本が見えなくなってしまった。「主婦の店」として消費者を育てた。でも、その消費者が、良くも悪くも目が肥えて、良くも悪くも我が儘に個性化した。
浅田
 バブルを経て見えなくなったわけだ。
田中
 ところが「見えない日本」だってことを理解せず、小泉的なやり方で見えていると思うのは、社会のほうが中内よりも遅れてるってこと。いまだに大規模店舗をどんどんつくり、昔ながらの地元の個店を締め付けてるわけだからさ。僻地に回ってくる巡回お買い物バスもなくなったから、お年寄りまで車に乗って郊外スーパーに行かなきゃいけない。そういう意味じゃ、ダイエーの二の舞を今イオンがやってるともいえる。・・・

見える・見えない、って話はちょっとおもしろそう。
あと、
最近引っ越してから、スーパーマーケットに以前より不自由しているんで、この辺の話はちょっとタイムリーだ。
以前住んでたのはアーケード街の近くで、サティだのサカエだのその他その他で、歩いてすぐの近所に7か所ぐらいスーパーがあって、てきとうにあちこちいってたんだけれど、
今度のところは、数が少ないのと、住宅街で、けっこう地味なんである。
で、↑この対談のすぐあとのところで魚の切り身の話が出ているけれど、生鮮食料品なんかみると、大型店の方が、見てくれがつやつやして新鮮そうなのである。
それは、ほんとに新鮮なのか、それとも、客にわからない手段(薬品とか色素とかね)によって新鮮そうに見せてるのか、判断がむつかしいとこではある、とは思うのだけれど、
実際には、やはり見てくれがいいのを買いたいなあという気にはなる。

スーパーといえば、この映画、よかった。