少子化で変わるべき社会 −機会複数制の導入(オカベの目のツボ)

http://eri.netty.ne.jp/realvoice/okabeye/tsubo/39.htm

§39 少子化で変わるべき社会 −機会複数制の導入(1)−
by 岡部憲治
2006/09/01
■ 今年度、定員割れした私立大は初めて4割に達し、短大も5割を超えた。2007年に到来する「全入時代」の前哨戦とはいえなかなかに厳しい数字だ。 それもあってか大学による高校生の囲い込みが激しさを増している。形式的には「AO入試」を採用する大学が急増し、高校3年の1学期中での「合格」や選抜途中での「内定」を出す大学もでてきている。
 一方、大学進学率の方も過去最高の52.3%で5割を超えた(短大含む)。つまり、
進学者 増 ⇔ 定員割れ 増
今の雇用状況と同じように「ミスマッチ」が起っている。
◇ ◇ ◇
■また、理屈から言えば少子化なのだから一人一人に対する教育のケア−と手厚いサポートが行き渡るはずだが、実際は「学力低下」が叫ばれている。例えば、国立教育政策研究所の国語と算数・数学の「特定課題調査」によれば、
論理的に考えたり、筋道立てて考えを表現したりする力が弱いという。
◇ ◇ ◇
■ところが、その一方で目覚しい業績を残している子ども達もいる。例えば、今年度、国際物理・生物学五輪で
物理では、86か国・地域から342人が参加し、理論、実験問題に挑戦した。 5人が初参加した日本では、洛南高3年疋田辰之さん(17)が銀メダル、麻布高3年田中良樹さん(17)、西南学院高3年谷崎佑弥さん(18)、ラ・サール高3年野添嵩さん(18)が銅メダルを獲得した。生物では、47か国・地域から185人が参加。筑波大付属駒場高3年佐藤博文さん(17)、同校2年仮屋園遼さん(16)、フェリス女学院高1年濱崎真夏さん(16)が銅メダルを獲得した。
また、メキシコで開かれていた国際情報五輪では、日本から参加した筑波大付属駒場高(東京)3年の渡部正樹さん(17)、私立高田高(三重)2年の片岡俊基さん(16)の2人が金メダルを、同甲陽学院高(兵庫)3年の今城健太郎さん(17)が銅メダルを獲得した。
世界で競ってなおかつ結果を出している若い人たちには驚嘆させられる。「すごい」の一言だ。
◇ ◇ ◇
■とはいうものの、全体的にはOECDPISA(学習到達度調査)の結果や「ゆとり教育」の功罪が叫ばれ、「学力重視」路線にシフトしつつある。だがここで疑問が2つばかりわいてくる。
◇ ◇ ◇
■1つは
「大学への入学システム」
だ。将来、「学力重視」でてこ入れされた子ども達が大学を目指すとき、入学機会はやはり
1年に一回
という形式なのだろうか。
 それでなくとも今の時点で4割もの大学が定員割れを起こしている。次期カリキュラムに沿って学力の高い子ども達が大学に入学する頃、大学の淘汰と二極化がはっきりしているのは確かだ。問題はそのような状況下で彼ら/彼女らの選択肢がどのように提供されているかだ。
◇ ◇ ◇
■もし、今と同様の「有名一流大学への合格」という基準で選択することが標準的ならば、その大学へ入学するための競争は熾烈を極めると考えられる。
 韓国では一流大学合格への競争が日本以上に熾烈で「集団カンニング」が社会問題になったのは記憶に新しい。また、以前、オカベの目のツボ§1でも紹介したような学校生活を送っている学生が多いことを考えれば日本の未来の子ども達が似たような学校生活を送ることも考えられる。すべては一点、
「一流大学に合格するため」
だけにだ。
 教育費の負担も年々増加傾向にあり経済的な理由で進学できないケースも十分ありうる。東京地区私立大学教職員組合連合の調査によれば、2005年度に首都圏の私大に入学させた親の5人に1人が過去最高の166万円の借金を入学費用の捻出のために背負ったという。また、奨学金の滞納や金利高リスクも問題になりつつある。
◇ ◇ ◇
■しかし、
入学機会が1年に3回や4回もあったらどうだろう?
受験者側にすれば経済的な面でも精神的な面でもずいぶんと楽にならないだろうか。例えば、1年の間に何度もチャレンジすることによって自分の力の見極めや方向性も定まってくるだろうし、なにより時間とお金を無駄にする必要がない。 経済的に余裕がない場合でも、合格してから1学期間は休学して学費を稼ぎ2学期目からスタートするなど、少なくとも「1年に一回」の入学機会に比べればキャリアプランに幅が出てくる。
 社会の側からすれば卒業生が「1年に一回」排出されるのではなく、続々と途切れることなく量産されるのだから潤沢な人材を通年確保することができる。
 検討する余地はあるのではないだろうか。

いやまぁ、そりゃ受験産業的な目線で言えば、大学教育なんて入口と出口だけなんやろうから複数機会とか自由自在にいえるわけですな。
いやしかし大学教育の当事者の身勝手ないいぶんを言わせていただきますとですね、
「1年の間に3回や4回も」入学して卒業していくということになると、
4月入学と6月入学と9月入学と1月入学(とか?)の学生を同時に教育しないといけないわけで、
授業はかなり混乱するのではないでしょうかと思う。
年2回のいわゆるセメスター制だって、うまくいってないところがたくさんあると聞くのだけれど。
けっきょくのところ事実上多数派を占めるであろう従来型の4月入学生だけでなく、たぶん少数派になるであろう6月・9月・1月入学生にも平等に授業を設定しないといけないので、大学側としてはリターンの少ないコストが大きくなるんじゃないかなあと思うし、まぁそれだけなら大学が泣いとけってはなしだろうけれど、
従来のような、通年をひとくぎりにした息の長い教育指導ができなくなって、短学期ごとのコマギレ指導ばかりになるのではないか、とか。
これ、卒業生を受け入れる企業にしてもおなじことで、
「即戦力を中途採用」みたいなことでなく、あるていど社員教育をシステマティックにしようと思ったら、さみだれ式に入社されても困るのではないかと思うのだけれど(それにしても「卒業生が「1年に一回」 排 出 される」というのはご挨拶だな。輩出?)。

なんか、↑上のエントリと共通の精神を感じるんで、
コア学生以外の全学生を、聴講生か通信教育生みたいな単位バラ売りにしてしまったら早いじゃん、みたいなことではないかと。そんで卒業して短期契約のフレックス労働。つじつまあうじゃんねえ。