学校帰りに買った本。小泉『レヴィナス 何のために生きるのか』。

れいによって学校帰りに、商店街の本屋さんで。じつは、ここしばらく、本屋さんの棚にあるなあ、とは思っていたのだ。なぜかというと、ビジネス書の棚に一冊だけ紛れ込んで置いてあったので。たぶん誰かが立ち読みしてそのまま違う棚にぽいと置いたのだろう。で、ビジネス書の棚を見る人の多くの目には入らず、あるいは「何のために生きるのか」ってぐらいなので人生訓の本だと思われたのか、あるいは本屋さん自身も人生訓の本だと思ってビジネス書の棚に並べつづけていたのかもしれないし、そもそもさいしょから人生訓の本のつもりで仕入れたのかもしれないけれど、ともあれ、ずっとあったのだ。それを、場違いだなあと気に留め続けていたのだけれど、なんか、今日はふと、買おうかな、という気になって、買った。
で、まぁ薄い本なのですぐ読んだ。
で、この人の本を、なんだかんだであれこれ読んでいるのだけれど、最初に読んだ『デカルト』や次に読んだ『ドゥルーズの哲学』が、なんだかんだいってよかったので読んでるってとこがある。
デカルト=哲学のすすめ (講談社現代新書)

デカルト=哲学のすすめ (講談社現代新書)

ドゥルーズの哲学 (講談社現代新書)

ドゥルーズの哲学 (講談社現代新書)

文章の調子が妙に、くるものがある、ということで、「このことを留保なしにまっすぐに認めよう」みたいな言い方がいいんである。かしこそうだとか物知りそうだとかいうのもあるけれど、そういう人は世の中にたくさんいるので、それじたいで読みたくなる理由にたちまちなるわけではない。くるものがあると、読みたくなる。