通勤電車で読む『オープンダイアローグがひらく精神医療』。

オープンダイアローグがひらく精神医療

オープンダイアローグがひらく精神医療

  • 作者:斎藤 環
  • 発売日: 2019/07/09
  • メディア: 単行本
斎藤環というひとは以前、ラカンとかなんとかいって戦闘美少女がどうのこうのとか言っていたかと思ったらこんどは引きこもり業界であれこれ発信してて、まぁそういう人なのかと思っていたら、なんかちょっと違う感じの本が出ていて、なんかラカンから転向したみたい。ていうかそもそも、教育分析を受けていたわけでもなかったというのでもともとラカン派分析家というわけでもなかったらしく、ふつうの病院で精神科のお医者さんの現代思想好きの人で批評とかも書いた、というかんじらしい。で、もともとラカン派の分析は治療論が弱くて批判的ではあったみたいなことをいいつつ、あるとき、「オープンダイアローグ」というのと出会ってすっかりそっちに転向してしまったようである。でその「オープンダイアローグ」なんぞやというと、フィンランドのある町の病院で80年代から重ねられてきた実践体系みたいなものらしい。まぁ、あれやこれやあるけれどキモは、一対一の分析ではなくて、患者とか家族とか医療チームとかで対話するよ、で、患者や家族の前で医療チームが「リフレクティング」と称する話し合いをする(とうぜん患者はそれを聞いてる)よ、というようなもののよう。で、ベイトソンバフチンが理論的根拠で、みたいなことをいってるらしく、まぁベイトソンバフチン、ナラティブ、社会構成主義、といった面子から想像されるように、まぁ、ゆるい。認知行動療法やマインドフルネスが大いに肯定されてたりしてとてもゆるい。まぁ、じっさいの現場というのはたぶん理論的にきれいなものとかふかぶかとしたものはもともとあんまりなくて、まぁうすっぺらくてゆるいのがふつうの臨床には向いているだろうというのはふつうにわかるしそうあってしかるべきだろうと思う。で、この本の時点ではまだ資格制度が整備されて間もないぐらいのようで、斎藤という人も、研修は本場で受けたけれど資格と言うほどのものはまだもってなくて、ただ国内で地域精神医療とか看護とか福祉とか教育とかの領域でOD「的な」活動を広げているみたい。
でまぁ、やっていることじたいはおもしろそうで、また、ラカン精神分析とか精神科で入院とかからみれば距離はあるだろうけれど、心理療法のグループワークとかそれこそ福祉とか教育とかを入り口に見た印象は、けっこうやりやすそうというかんじ。急性期の統合失調症の人にODが高い効果があってエビデンスも出ている、というのは、おもしろそうなかんじ。
あと、大枠の状況認識として、小泉義之『あたらしい狂気の歴史』とか『ドゥルーズと狂気』で読んだようなことと共通してて、「精神病」が軽症化し「発達障害人格障害」が広範化し、焦点が「行動の狂気」のほうに移って、精神医療が非入院治療化している、という現状認識のよう。その状況そのものを理論的にどうこう言うのではなくて臨床の現場でこんなふうにするよ、という議論のよう。
小泉義之『あたらしい狂気の歴史』。前著につづき行動の狂気をめぐって。「精神病」が軽症化し「発達障害・人格障害」が広範化し精神医療が非入院治療化するかにみえる現状をどうみるか。 - クリッピングとメモ
小泉義之『ドゥルーズと狂気』。いつもながらによい。「愚鈍」と訳さず遠慮なく獣人すなわち生来性犯罪者のことだと解する、そういうドゥルーズ読み。 - クリッピングとメモ
あと、やはり『居るのはつらいよ』の沖縄の施設の風景を思い浮かべる。
『居るのはつらいよ』読んだ。はずれなしでおなじみ「シリーズ ケアをひらく」の一冊。 - クリッピングとメモ
あとはやはり自分的にいつでも立ち返る、『症例研究・寂しい女』を思い浮かべたな。山中先生が、町のクリニックの先生としてうまいことやっておられるかんじ。
症例研究・寂しい女

症例研究・寂しい女

  • メディア: 単行本