通勤電車で読んだ『ビジネス書大バカ事典』。おもろうてやがて熱弁。

ビジネス書大バカ事典

ビジネス書大バカ事典

某所で紹介されていて、面白そうと思っていたのを、古マンガ店で見かけて購入。通勤電車で読んでたら無闇に笑えて困った。
ビジネス書といってもいろいろあるけれど、バカな本(「だれでも成功する10倍アップの法則」とかなんとか)がいっぱいあって、それをまた買うやつがいるらしくベストセラーになったりして、著者がまた次々とバカな本を出す、ということになっている、ようである。で、そういう本をあげつらっていちいちバカにして笑おうという本。で、こちらは数年前からビジネス書に関心をもちはじめていまや本屋に行っても新書とビジネス書の棚ばっかし見てるようなていたらくなので、自分が感心して読んでた本がバカだったらどうしようかなあ、と怖いもの見たさで読んだところはある。
で、結論としては、この本でバカにされてるのはほとんど、自分が読んだことのない本で、つまり、どうせバカなことが書いてあるだろうと自分がスルーしていた本が、やっぱりバカだった、ということの確認ってことだった。たまに自分が読んだカツマーなどにかんしても、評価がだいたい一致していてうなづける。ま、そういうわけで、この本は常識的な線で書いてあるわけだけれど、語り口が落語みたいで笑わせる。苫米地を紹介してるところでは、通勤電車で笑いをこらえるのに苦労した。
で、さんざんバカな本をバカにして笑わせておいて、それではこの本自体はどこに着地するのでしょう。
というと、じつは、落語みたいな語り口で「成功の法則」みたいなのを馬鹿にするいっぽうで、いがいとほろりとこさせるようなセリフをいったりするんである。

わたしはすべての人に存在価値があるとは思っていない。すべての人に「成功」があるとも思っていない。しつこいが、「成功」などどうでもいい。それよりはすべてのひとに「失敗」はない、と考えたい。「成功」した人生はあるかもしれないが、「失敗」した人生などない、と思いたい。「失敗」したように見えるのは、他人の人生と比べるからである。だが人生が「過程」そのものであるならば、「失敗」もへちまもないのである。きつかっただろうな、淋しかっただろうなと思われる生はあるだろうが、それでも、よくがんばったなという生があるだけだ、と思いたい。

この手の言い回しじたい、バカなビジネス書が信者をひきつけるレトリックをひっくり返したようなもんだと思えなくもないけれど、だとするとバカなビジネス書がベストセラーになる理由が逆にちょっとわかるとも言えそうだ。ま、ようするに誰だって見え透いててもいいから慰めてもらいたいとか、嘘でもいいから景気のいい話で元気付けてもらいたいとか、きっとそのていどのことではあるんである。だれが見たってバカなビジネス書がベストセラーになるのは、そういうちょっとしたそのていどのことが積もり積もってそうなるわけで、ひとりひとりが千円か二千円かとひきかえにちょっとそういう慰めを得たいと思ってる、ということなんだろうね、と思う。
ところでこの本は、後半、がぜん、「成功」とは「人生」とは「仕事」とはなにか、みたいな話を熱弁し始める。着地点はそっちかー!みたいなかんじ。
で、松下幸之助とか本田宗一郎とかの自伝を読むべき、とか言って、さいごの決め技は『宮本から君へ』。著者は堂々の団塊オヤジである。