『スピノザの世界』再読。

スピノザの世界―神あるいは自然 (講談社現代新書)

スピノザの世界―神あるいは自然 (講談社現代新書)

通勤電車で読む本として、これかな、というかんじでかばんに放り込んだ一冊。いま読むなら哲学もので、しかもニーチェスピノザあたりでいかが、というわけで再読。やはりよい。

人間のできることはきわめて制限されていて、外部の原因の力によって無限に凌駕される。したがってわれわれは、われわれの外にある事物をわれわれの使用に適合させる絶対的な力を持っていない。だがたとえわれわれの利益への考慮の要求するものと反するような出来事に遭遇しても、われわれは自分の義務を果たしたこと、われわれの有する力はそれを避けうるところまで至りえなかったこと、われわれは単に全自然の一部分であってその秩序に従わなければならぬこと、そうしたことを意識する限り、平気でそれに耐えるであろう。
(『エチカ』第4部付録第32項)

ここだけひっぱってくると言ってることは松井秀喜と同じっちゃ同じだが(→松井秀喜 - コントロールできないものに気を病むのでは...)、無限とか自然とかいうのは、スピノザ的な神のことをいってるわけで、その認識に向けて知性を改善すると永遠の喜びを得るぞ、みたいなことではあるようだ。

われわれは理性の導きに従って生きることにより多く努めるにつれて、期待にあまり依存しないように、また恐れから解放されるように、またできるだけ偶然の運の言いなりにならず、われわれの行動を理性の確実な指示に従って律するようにそれだけ多く努める。
(第4部定理47の備考)

でもって

一切が神の本性の必然性から出てき、自然の永遠なる諸法則、諸規則に従って生じることを正しく知る人は、たしかに、憎しみ、笑いあるいは軽蔑に値する何ものも見出さないであろうし、またなんぴとをも憐れむことがないであろう。むしろ彼は人間の徳のおよぶ限り、いわゆる「正しく行いて自ら愉しむ」ことにつとめるであろう。
(第4部定理50の系の備考)

だそうです。
いいですねえ。書き写してて気持ちがいい。