某日に学校帰りの商店街の古本屋で買ったうちの一冊。さあっと流し読み。都市を
国民国家との関係で捉える(orもはや捉えることができなくなったものとして捉えなおす)、という章は、へえ、というかんじ。それはそれとして、この本、1994年で、
阪神大震災も
地下鉄サリン事件もインターネットもなかった頃のはなしで、また、
バブル崩壊も実感されていたものか、なんか都市論的なことでいうとバブルっぽい感じのままで書かれてる気配もある気がする。そのへんはやはり、郊外論とか
ファスト風土論とかロードサイド論とかマイルドヤンキー論だとか、そういうののほうに、いまっぽさが感じられるわけであって、そこが、たんに状況的に不景気になったというだけでなくてどのように理論的に説明できるのか、気になるところ。
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あ、そうか、コンビニの話とかでつながってくるのか。そうかな。いやーでも、なんちゅうか、ロードサイドの煤けた&乾いた&荒涼とした感じっていうか、そういうのを言い当てようとしてはいないような気はする。なんかその、感触というか、語り口の透明度というか、そういう次元で、いまっぽさを感じさせないというか、いわゆるバブルっぽさを感じるっていうか。