通勤電車で読む『都市の政治学』。1994年。阪神大震災も地下鉄サリン事件もインターネットもなかった頃。バブル経済崩壊は実感されていたのかどうか。

都市の政治学 (岩波新書 新赤版 (366))

都市の政治学 (岩波新書 新赤版 (366))

某日に学校帰りの商店街の古本屋で買ったうちの一冊。さあっと流し読み。都市を国民国家との関係で捉える(orもはや捉えることができなくなったものとして捉えなおす)、という章は、へえ、というかんじ。それはそれとして、この本、1994年で、阪神大震災地下鉄サリン事件もインターネットもなかった頃のはなしで、また、バブル崩壊も実感されていたものか、なんか都市論的なことでいうとバブルっぽい感じのままで書かれてる気配もある気がする。そのへんはやはり、郊外論とかファスト風土論とかロードサイド論とかマイルドヤンキー論だとか、そういうののほうに、いまっぽさが感じられるわけであって、そこが、たんに状況的に不景気になったというだけでなくてどのように理論的に説明できるのか、気になるところ。

あ、そうか、コンビニの話とかでつながってくるのか。そうかな。いやーでも、なんちゅうか、ロードサイドの煤けた&乾いた&荒涼とした感じっていうか、そういうのを言い当てようとしてはいないような気はする。なんかその、感触というか、語り口の透明度というか、そういう次元で、いまっぽさを感じさせないというか、いわゆるバブルっぽさを感じるっていうか。