オーネット・コールマンが亡くなった。ごめいふくを。

http://www.asahi.com/articles/ASH6D042JH6CUCLV00T.html
オーネット・コールマンさん死去 フリージャズを牽引
 
米ジャズ奏者で作曲家のオーネット・コールマンさんが、11日、ニューヨークで死去した。85歳。広報担当者が明らかにした。
 テキサス州出身のアルトサックス奏者。ジョン・コルトレーンと共に伝統的な音楽技法にとらわれず、より自由な表現形式を可能にした「フリー・ジャズ」をリードした。アルバム「ジャズ来るべきもの」(59年)は音楽界に衝撃を与え、最も革新的なジャズ音楽家の一人とたたえられた。(ニューヨーク=AFP時事)

夜中に、Twitterで知る(もう何年も、いろいろなことの第一報がTwitterになっている)。
つい先日、散歩中に久々に入った中古ディスク店で買ったうちの一枚がオーネットだった。

In All Languages

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リユニオンのカルテットの演奏とプライムタイムの演奏とが片面ずつ入っている。
 
Twitterで訃報を見て、そのままYoutubeで寝床の中で聴いてた。


オーネットに関しては、初期のアコースティックなカルテットの演奏もいいけど、プライムタイムを結成してからの謎ハーモロディック演奏が好きなのだった。
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』は決定的だったし、その後中古店で買った『ヴァージン・ビューティ』もよかった。
ダンシング・イン・ユア・ヘッド

ダンシング・イン・ユア・ヘッド

ヴァージン・ビューティー

ヴァージン・ビューティー


その後あらためて追悼のために、名盤なので聴き惜しみしてる『ジャズ来るべきもの』を聴いたり。何十年ぶりに聴きなおして、よかったのが、ボーナストラックの「モンク・アンド・ザ・ナン」という曲。いかにもこういう、オーネットが作曲したことが一瞬でわかるおかしな曲を書く人なのだった。

そういえば『フリー・ジャズ』はCDではなくてLPで持ってるんだった。
そうそう。
オーネット・コールマンといえば、ジャズでの存在感もだけど、ほかのジャンルで「オーネット・コールマンのようなフリージャズ」というふうに影響を与えていて、たとえばルー・リードがたしかヴェルヴェット・アンダーグラウンドで轟音アルバムを作ったときに、オーネット・コールマンみたいな音楽をやろうとした、みたいに言ってた。

ルー・リード、生前最後のインタヴューでもインタヴュアーを一蹴 (2013/12/03) 洋楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)
「大学生だった頃、ニューヨークに行ってはオーネットのバンドの追っかけをしていたんだ。当時はビリー・ヒギンズ、チャーリー・ヘイデンドン・チェリー、オーネットの4人編成で、彼らの後を付いて回って、でも会場に入るだけのお金は持っていなかったから、窓の外に座ってそこから漏れてくる音を必死で聴いていたんだ。そうやって初めて、“ロンリー・ウーマン”を聴いて、俺の人生は変わってしまった。あのハーモニー、あれが決め手だった。あれ以来毎日“ロンリー・ウーマン”を鼻歌で歌っているよ。それか“ランブリング”とか、俺が本当に好きな曲だね。オーネットはロックを鳴らせたんだ」

ルー・リード ワイルド・サイドを歩け

ルー・リード ワイルド・サイドを歩け

なんとなくそこはオーネットみたいな飄々としたソロイストではなくて、セシル・テイラーとかアルバート・アイラーとかもうちょっとフリージャズでいるでしょう、と思ったものだけれど、でもやはりこういうときは「オーネット・コールマンのようなフリージャズ」という言い方になるのだろうな。

と思ってネット上で検索してたら、当時のルー・リードへのアルバート・アイラーセシル・テイラーからの影響というのも出てきた。

http://page.sgy3.com/index.php?ID=1885
この『White Light/White Heat』を録音するにあたって、ルーは映画の中で、すごい証言をしている。
オーネット・コールマンアルバート・アイラーを聞いて、ギターをサックスのように使えないか考えていた」って。

それから

トム・ウィルソンについて
ウィルソンとヴェルヴェッツの関係は "White Light / White Heat" で終わる。前作を上まわる過激な音で、スタジオの技術的な限界を超えてヴェルヴェッツの連中は好き勝手し放題したようにスターリング・モリソンは証言している(註6)。Sister Ray についてルー・リードセシル・テイラーオーネット・コールマンの影響を語っているが、あくまでインスパイアされたということで無論結果は別ものだ。ルー・リードはウィルソンと出会う以前からフリー・ジャズを聴いていたようなので、ウィルソンの影響の程は定かではない。が、二人の間で話題に上ることくらいはあったかもしれない。ヴェルヴェッツの面々がエンジニア泣かせの異形の音を次々に繰り出すことに動ずることはおろか美少女達をスタジオに連れ込んで楽しんでいたというウィルソンの(註7)音楽的な貢献度は不明だが、小賢しく容喙することなく常に鷹揚に構えていたのがプロデューサーとしてのウィルソンの美点だったのかもしれない。

これは気がつかなかった、ヴェルヴェッツの『White Light/White Heat』までのプロデューサーはセシル・テイラーの初期のアルバムのプロデューサーだった、という。