出先の売店で買ったりする本。神学とかヴェイユとか。

出先で時間があく。で、ファミマで野菜ジュースとサンドイッチを買って、がらがらの食堂に入ってそこで食べながら、本を読んだりする。読む本がないときは、食堂にくっついている書籍コーナーを物色する。なぜか抹香くさい本を買ってしまう率が高い。

神の痛みの神学 (講談社学術文庫)

神の痛みの神学 (講談社学術文庫)

これは先週買ったもの、べつに気合を入れて読むつもりもないのだけれど、ぱらぱらと読むと、なかなかくるものはある。

内容(「BOOK」データベースより)
神の痛みの神学は、「実体」としての神に痛みがあるなどというのではない。神の痛みは「実体概念」ではなくして、「関係概念」である。すなわち「神の愛」の性格である。この点の理解を欠くことが、この神学を父神受苦説と混同する根本原因である。神の痛みの神学は「栄光の神学」からはあくまで「外に」立ちつづけるであろう…。日本人の手になる真に独創的な神学書として各国語に翻訳され、欧米の神学界に大きな影響を与えた必携の名著。
 
目次
 
1 痛みにおける神
2 神の痛みと歴史的イエス
3 神の本質としての痛み
4 神の痛みへの奉仕
5 神の痛みの象徴
6 痛みの神秘主義
7 神の痛みと倫理
8 神の痛みの内在性と超越性
9 神の痛みと「隠されたる神」
10 愛の秩序
11 神の痛みと福音史
12 神の痛みと終末論

以前、同じように同じ売店で買ったマイスター・エックハルトもそんなかんじでよかった。

神の慰めの書 (講談社学術文庫)

神の慰めの書 (講談社学術文庫)

出版社/著者からの内容紹介
私が本書の訳に従事したのは30歳代から40歳代の初めにかけてである。80歳をこえた今日までの40年間を通じて、エックハルトは私を鼓舞激励している。たとえば、「神は私よりも私に近く在(いま)す」。人間は幸福を求め、美を求め、宝を求めて遠路を行く。しかし、比類を絶したものはむしろ近くに、あまりにも近くにある。エックハルトの言葉は年とともにますます輝き、新鮮さを加える。(訳者“「学術文庫」のためのあとがき”より抜粋)
著者紹介
【マイスター・エックハルト
ドイツの神秘思想家。1260頃1327。ドミニコ会士。ケルンで神学を学び、パリにてマギステルの称号を得る。ストラスブルク、ケルン等で神学を講じ、説教家としても活躍したが、汎神論者の嫌疑で告訴され、未決中に没。

きょうは、ヴェイユの本を買った。これは抹香くさくない方の本なのかな?

自由と社会的抑圧 (岩波文庫)

自由と社会的抑圧 (岩波文庫)

なぜヴェイユかというと、以前、『重力と恩寵』がぐっときたため。だからやっぱり、抹香くささを期待してはいるのである。
重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)

重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
「重力」に似たものから、どうして免れればよいのか。―ただ「愚寵」によって、である。「恩寵は満たすものである。だが、恩寵をむかえ入れる真空のあるところにしかはって行けない」「そのまえに、すべてをもぎ取られることが必要である。何かしら絶望的なことが生じなければならない」。真空状態にまで、すべてをはぎ取られて神を待つ。苛烈な自己無化への志意に貫かれた独自の思索と、自らに妥協をゆるさぬ実践行為で知られる著者が、1940年から42年、大戦下に流浪の地マルセイユで書きとめた断想集。死後、ノート(カイエ)の形で残されていた思索群を、G・ティボンが編集して世に問い、大反響を巻き起こしたヴェイユの処女作品集。