さる方の紹介で。通勤電車で読んであと下宿で残りを。
アドラー心理学トーキングセミナー―性格はいつでも変えられる (マインドエージシリーズ 9)
- 作者: 野田俊作
- 出版社/メーカー: 星雲社
- 発売日: 1989/03/01
- メディア: 単行本
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アドラー派とかなんとかいう以前に、たぶん力のある臨床家なんだろうなという感じで、力のある人がやれば、なに派だろうがうまい方向に行くのだと思うし、そうした力に裏打ちされているので、話も上手い。なのでこの本も、なるほど面白かった。
まぁ、わたしじしんはたぶんロジャース派をベースにしたカウンセリングのほうに親しみがあるので、この本で言ってることにいちいち納得したかというとそうでもないし、まあたぶん結局、カウンセラーとクライアントの相性の問題でうまくいったりいかなかったりするのだろうから、この人のグループに参加してうまく行く人はうまくいくし、うまく行かない人は行かないしそもそも参加しないし、参加してもだいたいはいずれ参加しなくなるだろうから、それはそれでいいのだろうと思う。相性の合っていない人を無理やり拘束して捻じ曲げてしまうような発想はなさそうだし。
まぁ、よくもわるくも、いわゆる臨床心理っぽさというか、神秘性っていうか深さ感っていうか、そういうのはなさそうな話し振りで、そのへんでたとえば深々とした感涙に咽びたいようなクライアントや読者にはものたりないかんじなのだけれど、そのへんはもちろんわざとそうしてるんで、「涙なしの解決」ちうことなんである。それができるんならそうしたほうがよさそうな気もするし、そのへんが、いわゆる臨床心理っぽさの深さ感への解毒剤にもなっている。
たとえば、
・・・ここでひとつわかってほしいことがあるんですけれど、洞察が人を変えるのではなくて、変わったとき人は洞察するんです。このケースにかぎらず、先に知的に洞察させないで、先に変化をおこしてしまうと、自然に洞察が生じる。そのやりかたのほうがいいんです。
とか、
− ところで、なぜその人はダンスができなかったんですか?
◎ 知りません(笑)。たぶん人目が気になるとかそういったことだったんでしょうが・・・。いずれにせよ彼女の手品[なにもないところから自分で作り出した障害]であることは確かなので、理由は尋ねなかったんです。
− なぜ尋ねようとしなかったんですか? 理由がありますか?
◎ 尋ねてほしがっているに違いないから(笑)。尋ねると、彼女の術中に陥っちゃう。彼女は、ダンスのできない自分を何とか正当化したかった。だからカウンセリングのときに、なかば食ってかかるような言いかたで、「ダンスをしなくていいでしょう」と私に迫った。
私はいかなる場合にも、クライエントと議論する気はありません。・・・クライエントが同じことを続けていると、困るのはクライエントだけであることを、議論ではなく、実際に証明して見せるだけです。ときには自然にそのようになりますし、ときにはそうなるような状況を作り出します。それが私のやり口です。私はひどく非言語的な治療者なんです。・・・
とか、すくなくとも表面上はふかぶかとしたところに立ち入らないでうまくやっちゃう、いいかんじの話がいろいろでてくる。
まぁ、ロジャース派だろうがなんだろうが、力のある人は、ニュアンスや緩急の差はあれ、そのへんは似たようなことをやっているんだろうけれど。