豊かさ「三丁目の夕日」のイメージ?

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豊かさ「三丁目の夕日」のイメージ?
9月24日14時42分配信 産経新聞
 平成19年版「国民生活白書」では、現状の生活に満足している人はおよそ4割と過去最低に落ち込み、「不満」は30年近く増加の一途だと指摘している。経済大国・日本で暮らしに豊かさや幸せを感じづらいのはなぜなのか。格差問題や食品の信頼性が人々の不安をあおる中、いま求められている「豊かさ」とは−。(特集部 津川綾子)
 豊かな暮らしとはどのようなイメージか。豊かさ論を研究する三菱総合研究所の野口和彦研究理事が一例に挙げたのは「映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に描かれたような人情味あふれる暮らし」だ。
 「三丁目−」の舞台は昭和30年代初期の下町。身なりは質素で、牛肉が特別なごちそうだった。だが、町内中が酒や土産を手にテレビのある家庭により合うような人間関係が日常に息づいていた。
 「経済的なことが先に立ち、情報が過度にあふれている現代だけれど、精神的な人と人との絆(きずな)が強ければ、モノがなくても心は豊かになれる。今の人々はそのことにうっすらと気づいている」と「三丁目−」の阿部秀司エグゼクティブ・プロデューサー。
 「金じゃないんだよ。世の中にはもっと大事なものがあるんだ」。11月に公開される「三丁目−」の続編で、売れない小説家が資産家に向かって叫ぶ。阿部さんはこのせりふを「とても現代的だ」とする。

 白書によると、豊かさのものさしを「物」と「心」に分けて調査した「国民生活に関する世論調査」(内閣府)では平成18年、心の豊かさを求める人の割合が62・9%と調査開始以来最高となった。特に近年、「心」志向は顕著だ。なぜ物の豊かさより心の豊かさが求められるようになったのか。その転換点を約20年前に見いだすことができそうだ。
 戦後、日本は「追いつけ追い越せ」をスローガンに経済力で欧米に追いつくことを「豊かさ」の目標にしてきた。昭和62年、名目上は国民1人当たりGDP(国内総生産)で日本はアメリカを抜きその目標を達成。しかし「クーラーのある生活が一般的になると、クーラーがあること自体に幸せを感じなくなる」(野口さん)ように、物で満たされた生活への感動は薄れ、一方で長時間労働などで時間的なゆとりがなく、豊かだという実感にはつながらなかった。グラフでもこのころを境に「物の豊かさ」より「心の豊かさ」を求める傾向が顕著になっている。

 しかしながら「心の豊かさ」とは何とも抽象的だ。GDPのように数値では示せず、「豊かさ」はとらえどころがなくなったとも言える。生活への不満の高まりは、目指すべき豊かさを見失った不安や迷いの表れとも読める。
 ヒマラヤ山脈東部のブータン王国では、国王が「GNH」(グロス・ナショナル・ハピネス、国民総幸福量)という概念を提唱している。「経済指標よりも、人どうしのつながりや心の豊かさを大切にする」(GNH研究所の平山修一代表幹事)というもので、日本でも東京都荒川区が17年から「GAH」(グロス・アラカワ・ハピネス)をうたい始めた。
 こうした価値観が広まる背景からも、物やお金では手に入らない豊かさを求める傾向がうかがえる。「三丁目の夕日」に描かれた喜怒哀楽を分かち合う人間関係は懐かしさではなく、あこがれをもって受け入れられている。「あの時代に戻ることはできないが、地域コミュニティーの関係性が取り戻せるか。それが人々が豊かに暮らせるかどうかの鍵になる」と「定常型社会 新しい『豊かさ』の構想」の著書がある千葉大学広井良典教授(公共政策)は話している。


「データ」っていうタグをつけてみたけれど、よくみれば、この記事べつにデータに基づいた話はしてないですね。
この記者の人がかってに、野口さんってひとの言葉の中から「三丁目の夕日」をピックアップしてなんとなくこじつけたみたいな文章っていうか?

なぜ物の豊かさより心の豊かさが求められるようになったのか。その転換点を約20年前に見いだすことができそうだ。

20年前は平成がはじまる直前やし。「三丁目の夕日」とは30年のタイムラグがある。
いったい、いつの何の話をしているのかわからない。

っていうふうにいいたくなるのは、
ちょうど学生さんのレポートがこんな感じで、学生さん自身の子ども時代ぐらいまでさかのぼるのがせいぜいであとは80年代も50年代も戦前も江戸時代もいっしょくたの「むかし」なんである。「むかしの教育は」とか。
そりゃないだろう、と読んでていつも思うのだけれど、新聞の記事もそんなかんじになってきたのか?

ていうか、「三丁目の夕日」って作り話やし。あの時代に戻るもなにも、作り話やし。