「ナトコ映画「公民館」(1950年製作)」。YouTube「月刊公民館ちゃんねる」で公開されてた。

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YouTube「月刊公民館ちゃんねる」をみていたら、ふと目についた。30分ほどの短篇映画。

このたび、古い映画なのですが、字幕などをいくつか修正しまして、ニューアルしました。
※リニューアルした点にご興味のあるかたは、最後に書きました。

1.この映画「公民館」について
 この映画は1950年に日本で制作されたものです。全国公民館連合会所蔵。
 戦後間もなく公民館がどのように活動していたのかがわかる、とても貴重な映像です。1949年に公民館の根拠法である「社会教育法」が制定されますが、その直後につくられた作品です。
 映画の中で、主人公は全国の公民館を6館まわります。柳津町公民館(福島県河沼郡柳津町)、菅田町公民館(岐阜県武儀郡菅田町〔現在、下呂市の一部〕)、大津公民館(滋賀県大津市)、帯広公民館(北海道帯広市)、水縄村公民館(福岡県水縄村〔現在、久留米市の一部〕)、苗羽村公民館(香川県羽村〔現在、小豆島町〕)を訪ね歩き、全国各地にはさまざまな公民館が存在し、どういう理由でつくられ、またどのような活動しているか、紹介されています。
 映画のなかでは「いまでは全国に1万7千館の公民館が全国にある」と言っていますが、現在も公民館数はだいたい同じくらいあります。

2.字幕を付けるにあたって、お名前の確認やわかりづらかった東北地方の方言解読などを次の方々にご教示いただきました。深く感謝いたします(肩書きは、令和4年1月当時)。
  長澤成次氏(放送大学千葉学習センター所長、千葉大学名誉教授)
  上田幸夫氏(日本体育大学教授)
  髙木悠子氏(株式会社旺栄)
  田所祐史氏(京都府立大学教授)
  柳津町教育委員会の皆さん

3.「ナトコ映画」とは
 この映画は、GHQ民間情報教育局(CIE)が日本国民に対して民主主義的な考えを一般の人たちに普及するために製作した教育映画で、いわゆる「ナトコ映画」と呼ばれています。
 このナトコとは、「NATCO」と書きます。映写機の製造メーカーの名前で、GHQが日本に持ち込んで映画を地域で巡回するときに使った映写機のことです。
 当時全国で1300台のナトコ映写機と、3000タイトルに及ぶ16ミリ映画を日本に貸与し、地域で上映しました。そして、民主主義はどういう考え方なのか、これからどのような生活を送ったら良いのか、世界はどうなっているのかなどの普及を図りました。そのうち、教育的な映画は408タイトルあり、そのうち日本で制作したものは54タイトルあったとされています。この「公民館」という映画は、日本で制作された映画の1つです。
 
4.CIEとは
 民間情報教育局(Civil Information and Education Section, CIE)は、日本の広報、教育、宗教その他の社会学的問題に関する施策について助言するために米太平洋陸軍総司令部(GHQ/USAFPAC)の専門部として設置されました。
CIE は、教育及び文化に関する極めて広範囲にわたる諸改革を指導し、監督しました。


【この映画に字幕を付けるにあたって、いろいろわかったエピソード】
柳津町公民館で、観客が2人しかいないときに演説している人は、なんと本物の柳津町の町長、笠間惠(かざまひさと)さんです。よくこんな役を引き受けてくださったものです。

柳津町のところで、「大木喜代之進」先生というかたが紹介されております。はじめはどういう人かもわからず、お名前もよく聞き取れず、「大石・・・?」と聞こえていたくらいなところからはじまりました。しかし、ていねいに何度も聞き直し、「大木」という名前だろう、というところからいろいろ調べていくと、このかたに行き着きました。なんと、全村教育などの考えを持った、『學村建設の實際』(1927年)などの著書もある教育思想家でした。柳津町の社会教育の原点は、大木先生にあると思われます。ただこの方のことも、まだあまりわかっていないので、今後の研究課題です。

柳津町のところで登場する公民館長さんの野口さんは、フルネームを「野口久人(のぐちひさんど)」さんという方で、大木喜代之進先生の後を引継ぎ、戦後の柳津の社会教育を押し進めた方です(『公民館の運営』社会教育資料集第20集公民館資料第3集、福島県教育委員会社会教育課、1951年などから)。

・櫻本コウさんは、柳津尋常高等小学校の先生だったようです(『福島県学事関係職員録』大正14年5月1日現在、東北中堅社編より)。同じ名簿に、「櫻本正儀」というお名前があり、もしかしたら、旦那さんも学校の先生だったかもしれません(旦那さんかは確認できず)。

・櫻本コウさんのお孫さんが、現在ご存命です。お孫さんは柳津町役場の職員さんでした(2019年3月で定年退職したとのことです。柳津町教育委員会の方からの聞き取り)。

・後半で登場する大津市公民館は、実は昭和22年の優良公民館表彰を受賞しています。文部省主催の優良公民館表彰は正式には昭和23年から実施しておりますが、昭和22年にも実は行われております。そのときの優良公民館表彰は社団法人生活科学化協会と毎日新聞社が主催で、文部省は主催ではなく後援となっています。ただ、その表彰式には文部大臣も出席し、記念品も贈呈しています。この昭和22年の優良公民館表彰は事実上の第1回(幻の第1回?)と言えます。

大津市公民館は、現存しています。現在は「旧大津公会堂」という名称で、いまでも住民に貸室をおこなったり、また観光客の方にも公開されていますので、大津に訪れた方はぜひ訪れてみてください。

・水縄村の公民館は寺中構想そのものを体現した公民館として、当時有名でした。その公民館主事として活躍していた林克馬さんは、現在の全国公民館連合会(当時は全国公民館連絡協議会)の発起人で、副会長を務めたこともあります。その後、小倉市教育委員会社会教育課長となりました。ただ、有名な割には、この映画で登場する6館のなかでは扱いがそれほど大きくないのは、もしかしたらこの映画制作にかかわっていたから?と思ったのは、深読みした見方でしょうか・・・。そこらへんは、この映画の制作した経緯や意図などにもかかわっていると考えられますので、今後の研究課題です。

・苗羽村の子どもたちの音楽団は、戦後まだ5年程しか経っていない時期に、あれだけの演奏技術と、ヴァイオリンも含めたさまざまな楽器をよくそろえていると感心いたします。きっとキーマンとなる方がいたんだろうと思いますが、それは今後追跡したいと思います。

・この映画で日本全国の公民館を旅する主人公のような男性がおりますが、あの方は知る人ぞ知る俳優です。下元勉(しももとつとむ)さんと言います。高知県出身で、映画『原爆の子』(51年)、『真昼の暗黒』(56年)、『キューポラのある街』(62年)ほか、数多くの作品に出演しています。73年のNHK連続テレビ小説北の家族」ではヒロインの父親役を演じ、名脇役として評価され、その後も映画、TVドラマに多数出演しました。00年、肺炎のため逝去しております。


【参考文献】
・長澤成次「ナトコ映画とCIE映画『公民館』(1950)」(『月刊公民館』2020年7月号所収)
・土屋由香/吉見俊哉編『占領する眼・占領する声 CIE/USIS映画とVOAラジオ』東京大学出版会、2012
・谷川建司『アメリカ映画と占領政策京都大学学術出版会、2002
・杉山拓也「占領期社会教育の展開とナトコ映画-ナトコ映画がもたらしたもの-」2013年度千葉大学教育学部卒業論文
など


【前回からの修正点】いくつか修正しました(2023年1月8日)。
 ①冒頭の本来あった「USISアメリカ文化映画米国国務省提供」という部分を復活

 ②キャプションで間違っていると思われる部分をまとめて修正
   「精神の修養」⇒「青春の修養」
   「女性参政権」⇒「女子に参政権
   「深雪」⇒「根雪」
   「てんぷら虫」⇒「かんぷら虫」
   「カメラ」⇒「キャメラ
   「ゆきぐさりびょう」⇒「ゆきぐされびょう」
   「古い家族制度」⇒「古い家督制度」
   「お手前」⇒「お点前」
   ◆大きな修正は、「かんぷら虫」ですね。かんぷら虫なんて初めて知りました。
    ネットには出ていませんが、その地方特有の虫の名前みたいです。「かんぷら」は
    福島地方で「馬鈴薯ばれいしょ)」のことで、馬鈴薯に付く虫とのことです。

 ③いまだによくわからない部分
  ・研修会の場での講師の発言:「そして・・・排水をはかること」の・・・
   の部分がよくわかりません。わかった方はご教示くださるとありがたいです。
  ・あとは方言でわかりづらいところがいくつかありますが。。。

 ④最後の「ナトコ映画解説」で、少しヘンだった表現を改めました。