「京都・時代祭の行列 大学生アルバイトの減少を報じる記事から感じたこと」(大学プロデューサーズ・ノート)

こちらのweblog↓の記事にひざをぽんと叩く。
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2008/10/post_235.html

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つまり時代祭行列に参加するのであれば、その日の授業はすべて欠席しなければならないわけです。
学生の仕事は学業なのですから、学生が授業を欠席しないと成り立たないような計画にはもともと、無理があります。おそらく、参加したくても授業があるから行けない、と考えている学生だって少なくないでしょう。
冒頭の記事ではそこがあまり指摘されていませんので、
「大学生が授業をさぼらなくなった結果、京都の伝統が失われるかも知れない。残念だ」
……とだけ言っているように読めてしまうのです。
実際には、学生が授業を大事にするようになったのなら、むしろ評価されて然るべきところ。
「京都時代祭の行列バイト異変」というタイトルですが、異変と呼ぶようなことではないような。
この辺りから、日本における「大学生」の位置づけがわかります。
例えば、高校生も大学生も勉学を本業としている点では同じですが、「授業に出ないで祭りに参加する高校生が減ったのは残念だ」……なんて、果たしてメディアは論じるでしょうか。
日本では、「大学生は授業に出るよりも、授業をさぼってバイトなどで社会経験を積む方がいい」という持論を持っている人が、今でも少なくありません(欧米の人が聞いたら驚きそうですが)。
この記事も、そんな社会的な通念(?)があるから成り立っているのではないでしょうか。
昨今ではそんな見方も変わってきたのかなと思っておりましたが、どうやらまだ根強いみたいですね。
マイスターは冒頭の記事を読んで、そんなことをあれこれと考えさせられました。

御意。