本日の通勤電車。『科学哲学の冒険』読んだ。「社会構成主義」への藁人形叩きが不愉快。

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

野矢本のむこうをはってか、対話篇による科学哲学入門、のふりをして「実在論」なるものにおおきく肩入れする本。
「社会構成主義」というのがでてきて、それがよほどバカなことをいっているようである。なのでそういうバカは20階から飛び降りるべきであるらしい。
でも、思うに、そのなんとか主義にしたって、じっさいに読んでみたらそんなに単純バカなことは言ってないかもしれないんじゃないだろうか、それを理解するのでなくて外在的に、よほどバカとして描いておいて叩くのは、なんか不愉快だなあと思う。
社会構成主義のどこがいけないか、という節があって、まぁバカだから20階から飛び降りるべきと書いてあるわけなのだけれど、いきなりどこがいけないかといわれても、ということなのだけれど、実は、「社会構成主義」なり「構築主義」なりを、単純バカな主張に切り詰めて藁人形叩きをしようという心貧しき人たちの描き出すようするに単純バカな主張を、けっこう真顔でやってしまう自称「社会構成主義」「構築主義」の人みたいな人たちってじつはけっこういそうで、つまりそういう人材を呼び寄せてしまうところっていうか、脇の甘さっていうか、がいけないところなのではないか、と思わなくはない。たとえば「構築主義とは何か」みたいな本を売ってやろうという魂胆を持つ人がいたり、それを買って構築主義とは何かがわかったと考えてバカなことを言う人がわらわらとでてきたり、バカなことを言っている人をバカにするひとがこれまたわらわらでてきたり、そういう。
この本のオチちかくで、「文パラダイム」がアカンのやというはなしがでてきたりだとか、ハッキングという人がけっこういい役回りで出てきていたようなのだけれど、「構成主義」ってそのへんまでの射程で議論するものなんじゃないかなあと思っていた。
第一、科学的実在とおもわれていたものが社会的に構成されたものだったとしても、社会的事物っていうのはモノなんだから、勝手に変えたり消えたりできるもんじゃないだろう。それに20階から飛び降りたら死んじゃうということは科学者が発見した手柄でもなんでもないただの事実だ。