『ギリシア哲学入門』読んだ。なぜかオチはヘブライ。

ギリシア哲学入門 (ちくま新書)

ギリシア哲学入門 (ちくま新書)

基本的には講演なんかをまとめたもの。アリストテレスプラトンの政治論を紹介しつつ、それが今の民主主義につながっていたり萌芽だったりするというふうに話を持っていく。でもやっぱりギリシアにはあきらかに奴隷制があったりするわけで、またプラトン哲人政治には全体主義のなんのと批判があったりするわけである。そうすると、いきなりヘブライ的な無限の他者みたいなのがでてきて、レヴィナスとかいって、弱いものの力、みたいな話とかでてくる。あるいはキリスト教とか仏教とか。

よみながらふと、裏返しのフーコー、ということを思いついた。このまえれいによって丹生谷貴志を読み返していて、ニーチェの系譜学がキリスト教ルサンチマンニヒリズムを批判したのをフーコーが受け継いでて云々みたいな話が出ていて、そこで『性の歴史』でフーコーギリシャをとりあげたというはなしにつながってくる。ていうか岩田ジュニア新書『ヨーロッパ思想入門』(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20050720#p1)でもそうだったわけで、ていうかようするにたぶんあたりまえのはなしということで、ヨーロッパというのはギリシャヘブライだというので、そこからヘブライを引き算してみたときに何が見えるか、というのをギリシャにおいて確認するってことはあるだろう。
この本では、途中でニーチェなどにも言及して、つまりプラトンの『国家』の中ですでにニーチェ弱者道徳ルサンチマンみたいな議論が出ていて、プラトンはそんな議論は折り込み済みでしかも超えてるのだ、と言ってるようなのだけれど、でもそれもふくめ、けっきょくギリシャだけでは現在のわたくしたちにはやっぱし物足りないかんじがするわけで、なのでオチにヘブライをもってくるわけで、そのあたりの足取りは面白いかもと思った。それはそれじたいで成立しているはずのギリシャを現在のわたくしたちの目でなんか見るからものたりなくなるわけなのだけれど、そこがヘブライで埋められるあたりの仕組みがおもしろいのかも、と。