このところ読んでいた『ジョージ・ハーバート・ミード』。

さる文脈でミードというのを示唆されて、その流れで春の古本まつりで買っていたのを、このところ読んでいた、というかミードというのもたいがい馴染まんので目を通していたというかんじではある。でも、がまんして読んでたらなんとなくノリは伝わってきます、というのが成果。これ1987年に出た本であるということ(思ったより前だった)、そのもとは1982年に執筆された修士論文であること、なので、ミード原テキストとミード文献をまじめに読んでミード解釈の論争を整理したうえで、ミード原テキストにもとづきしかも著者に許容しうる(かつ80年代時点で許容しうる)ようなミード理論像を再構成した、その流れでハーバート・ブルーマー的な「シンボリック相互作用論」に過度にひきつけられたミード像は否定されて、またおなじことだけど心理主義的・主観主義的なミード像も否定されることになって、生理学的・進化論的・客観主義的なミード像が提示されてる(んだと思う)。そしてしかしそれは結局著者の人の修士論文的な勉強という面もあって、「結論」のところでいきなり「意外に思われるかも知れないが、わたしは、自ら再構成したミードの理論化が、必ずしも好きではないのである」などと言ったりして、なんやねんと思うところもある。でも、「生理学的」、というか、身体のほうにコミュニケーション理論をもっていくところとか、大部分の「無問題」状況では非意識的・非内省的・自動的に社会的行為が達成される、みたいなところとか、「「意味」の私秘性を否定するところとか、ちょっとわからんではないところはある。