- 作者: 金井美恵子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2016/04/18
- メディア: 単行本
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それで、これは連載エッセイの2年間分をまとめたエッセイ集で、シリーズになってて(「目白雑録」の検索結果 - クリッピングとメモ)今回は第6集にあたる。で、ことの性質上、おはなしは2年以上前の話題からはじまって、なんかワールドカップサッカー日本代表がブラジル大会に出場を決めた試合のときに渋谷駅前で取締りをやった「DJポリス」というのが最初のとっかかり。そこから話がじょじょに横滑りしながら連載5回分。それから、猪瀬都知事辞任というのと佐村河内なんとかというのを重ね合わせつつ「裸の王様」という寓話から開高健に、また頂点に上り詰めた者が失墜するという通俗的イメージから、というか佐村河内なんとかから直接の連想で、『砂の器』の映画と、それから原作の小説のほう(をわざわざ買い求めてはじめて読んだということで)に、話は横滑りに横滑りを重ねつついつまでも増殖し続けてこれで連載7回分。「DJポリス」と「佐村河内」で都合1年間続いてしまうわけで、これは異様なことではあるのだ。なのだけれどそれがおもしろいわけだし、そもそも2年以上前の話題が今読んでおもしろいのは、それが1974年の映画や1960-61年の小説を呼び出すからで、佐村河内の話題で盛り上がっていたときの世間は『砂の器』を無意識には想起していたかもしれないにせよ想起してしまったことを意識してなかったという意味ではやっぱし忘却していたわけで、そしてさらに1974年の映画版は1960年の原作を忘却させているし、等々、起こったことや書かれたことを忘れてしまっているからなわけで、つまり、「新しい」話題なんかほんとははたしてあるのだろうか、「構造はやはり何も変わらない」ではないか、というわけである。それで、じゃあ、というわけで開高健が読み返され、松本清張が読み返され、数年前の『現代思想』の松本清張特集で『砂の器』を論じてた執筆者たちの多くがほんとに松本清張の小説『砂の器』をちゃんと読んでたか怪しいものであることが読み返され、ついでに大岡昇平が連載で松本清張をこれみよがしに読み飛ばしていたことが読み返され、まぁようするにちゃんと読むこと、読み返すこと、ちゃんと「読まない」こと、等々がここで読まれるわけで、まぁそれが、読みでのあるところ。