『先生を流産させる会』みた。ハードボイルド。おまけでついてた短篇「廃棄少女」はプロトタイプかと思ったら後から作ったらしい。

先生を流産させる会 [DVD]

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学生さんセレクションの映画をみるシリーズ。どんなのかなと思って検索したら、上映時間62分、監督は映画美学校出身、ということで、ちょっと興味をひかれた。実際の事件に想を得たということで、まぁ聞いたことはある事件だけど、映画では女子中学生5人組の話になっている。まぁ気分悪い映画であることは予測されるわけである。
でまぁ、見たら、まぁ気分悪いのは確かだとして、これ何の映画か、ということで思いついたのはハードボイルド、ということ。見ていて第一印象は、とにかく登場する生徒たちが、内面がないというかひたすら精神の内容が貧困というか空疎というか、何も考えてないのレベルを通り越して人間として成立してないかんじで荒涼としてる。それでそういう生徒たちが地方のしんどそうな女子校の中学の教室で、公然と、主人公を流産させるための行動をとる。ここで学校というのは、生徒に何をされても教師は反撃できないという無法地帯というセッティングになっている。それで主人公がこれまた、生徒からの攻撃に怯えるとかなんとかそういう内面性をこれまた欠いていて、攻撃されてもむくっと起き上がっては生徒たちと対決しようとする。というわけで、これはハードボイルドというやつかな、と。いやまぁ、ハードボイルドと呼ぶにはクールさが欠けてるような - なにしろ気分悪い題材なので - 気はしなくはないけれど。この映画を見て実際の事件についてとか現在の学校問題について知るとか考えるとかというよりも、いまの日本でハードボイルドを成立させるために、地方の荒涼とした風景(雑草だらけの空き地とか田んぼの向こうに浮かび上がる潰れたラブホの廃墟とかさびれた夜のショッピングセンターとか)とか疲弊した中学校とかを舞台に、内面を欠いた登場人物たちが対決するストーリーを選んだ、ということかという気もした。まぁ、そういうハードボイルド的というか、内面性というか人間性というかそういうものを欠落させたおはなしの舞台に選ばれてしまうというところから、学校という場について考える、という手はあるかもしれない、かな。中学生側はともかく、この主人公が精神性を欠落させて何度も起き上がり生徒と対決するのは、理屈としては、「教師だから」というロジックだけを抽象的に取り出したらこうなりましたという以外にないように見える。そうじゃなかったら、つまり多少なりとも現実を反映させようとしてたなら、この主人公はさっさと休職するなり警察に訴えるなりするだろうし、すくなくともこの主人公の夫とか家族とかが止めるなり訴えるなりするだろうし、まぁそういうリアリズムをきれいさっぱり排したうえでこの映画は成立しているんだから、この映画から現実を知ろうとしても無駄なんである。思春期を迎えて揺れる少女たちの心のふるえとか彼女たちに命懸けで向き合う女性教師の姿勢だとかそういうのを求めても何もないよと。ただ、抽象的な、学校とか教育とか、教師とか、(教育される以前の基体としての)生徒とか、(生徒の利害のみに忠実にエゴイスティックに動く)保護者とか、そういう理念型について考えることはできるかも、みたいなはなし。
DVDについてた特典映像の中に、短篇の「廃棄少女」というのがあったが、あるいみで本作のプロトタイプというかんじもあった。学校のようなところを舞台に、5人ぐらい?のぼろぼろのジャージ姿の女子(ひとりだけ赤ジャージ)たちが、ぼろぼろのつなぎ&ガスマスクの敵と戦う、みたいなのなんだが、まぁたぶんほぼ素人に近い小汚い中学生たちを使ってるところとかも含め、本作のプロトタイプ
 - かと思ったら、本作の後に同じ中学生を集めて、「3.11以降の「明日」への思いを描いた」という、「311仙台短篇映画祭のプロジェクト作品として出品した」ものらしい。あのガスマスクとつなぎは「防護服」で3.11以降というのを表現してたらしい。そうなのか。それにしても殺陣が(演技も編集も)へたくそだったんでてっきり若い頃の習作とか本編をつくるまえのプロトタイプみたいなものかと思ってた。
『先生を流産させる会』に出演した少女たちが3.11後の不毛の地で死闘する『廃棄少女』、ブルーレイ&DVDに収録 - シネマトゥデイ

うーん、「ハードボイルド」と言い切ることができないことに関連して。監督の出発点が、「先生を流産させる会」という言葉のまがまがしさ、にあるということで、つまりこの作品の中で中学生たちが内面を欠いていて精神が貧困であることが、「まがまがしいもの」として主題化されてる、というところがポイントなのかな。たとえば西部劇の登場人物に内面はないけどだからこそ爽快である、ハードボイルドの探偵に内面はないけれどだからこそクールである、というのとちがって、内面がないことそのもののまがまがしい感触を主題にしようとしてるところがポイントだとか。高橋洋清水崇に引かれて映画美学校に入ったホラー好きの監督、というあたりがやはり出てるというか。
・・・でも、「ホラー」とも言い切りづらいところもあって、なぜならここには「恐怖」がないというか、主人公が恐怖するような場面でも恐怖せず、対決に向かうので。そこだけをとるとハードボイルドと言いたくなる気持ちもやはりでてくるわけである。

先生を流産させる会 - Wikipedia
監督・脚本・製作の内藤瑛亮は、製作の理由について、「“先生を流産させる会”は実際にあった事件。この言葉に、いちばんの衝撃を受けたんです。こういう悪意の在り方は自分には想像しえなかった。流産させても殺人罪にはならない。でも、“先生を殺す会”よりも“先生を流産させる会”という言葉のほうが、遥かにまがまがしく、おぞましい。それはなぜなんだろう。そう思ったことが企画の始まりでした」と述べた

http://www.eigabigakkou.com/interview3
——映画美学校に決めた理由は?
そもそもがホラー好きなので、『リング』(98年)の脚本を手がけた高橋洋さんが教鞭をとっておられるということと、あとは第1期生の清水崇さんのサクセス・ストーリー感も決め手のひとつでした(編注:フィクション・コース初等科で提出した「3分ビデオ課題」が見出され、のちに『呪怨』を制作。ビデオ版から映画版、ハリウッド・リメイク版に至るヒット作となった)。でもその一方で、あまりよくないイメージもあったんです。ものすごくシネフィルの、頭のカタい感じの人が多いんだろうなあ、とか。俺は絶対にそっちには染まらない! という決意のもとに入学を決めました(笑)。・・・

まぁ、そういうことをつらつらと考えつつ、たとえば↓こんな記事を見ると、ふーん、と思ったりする。まぁ、この手の映画の売り方としては王道で正解というか。
あまりにむごい実話!女性教師を流産させようとする女子中学生たち…『先生を流産させる会』劇場公開決定 - シネマトゥデイ