『H Story』みた。『二十四時間の情事』の再現を演じさせたら女優がやる意味を見いだせずに心折れましたというのを撮った悪い映画。

H STORY [DVD]

H STORY [DVD]

  • 発売日: 2004/11/26
  • メディア: DVD
ヒロシマをテーマに映画を撮るとなる。そうするとすでに『二十四時間の情事』(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2020/09/25/233634)というのがあるのでそれを参照せざるを得ないとなる。そこでフランスから女優を呼ぶ。『ベティ・ブルー』ですさまじい印象を発散してたベアトリス・ダルという人。ミック・ジャガーみたいな唇で、肩にタトゥーを入れた現代的な女優。それで、40年前にマルグリット・デュラスが書いた「詩的」?な脚本を、そのまま再現することを要求する。40年前のアラン・レネの『二十四時間の情事』で古典的な美人女優がある種、観念的に?演じていた「詩的」?なダイアローグを、今、どう演じていくことができるのか、その言葉にどういう意味をもたせていくことができるのか?というのを、女優は考えるし、まぁ誰が考えたって「??」となるわけだし答えは見つからない。ヒロシマという土地で、まわりは日本人スタッフばかりで、まぁこれどう考えても女優ばかりが追い込まれていくわね。
で、この監督は、『2/デュオ』とかを撮ってた諏訪監督(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2020/09/23/233108)で、そっちでは脚本を捨てちゃって簡単なプロットをもとに俳優たちに即興で演じさせてそれをドキュメンタリー的に撮るという方法論をやっている。そういう方法論の人が、ヒロシマというテーマをどう撮るか、ということになる。監督自身が広島の出身で、そのいみでは微妙な立ち位置が出発点になる。とうぜん、監督自身は原爆を直接には体験していないし、ふつうの日常空間としてその土地で生活していた。まぁそのいみでは誰でもにたようなもんだ。でもじゃあヒロシマなんでもないかというと「何か」があるような気もする。そんな「何か」を映し出すためには、単なる即興の仕掛けだけでは足りないかもしれないというのはわかる。で、そうすると『二十四時間の情事』を下敷きにする、というのはわかる。記憶であるとか、ヒロシマを知ることの不可能性であるとか、そういうのをごじゃごじゃ言い合うマルグリット・デュラスのダイアローグは、探究の足掛かりとして、ある強い枠を提供するかもしれない。でも、『2/デュオ』で早々に脚本が捨てられたように、その枠組みは捨てられるためにあるのだろうから、だとすると、現代的な女優に延々と『二十四時間の情事』の再現を演じさせ続けるというのはけっこう意地が悪いというか、女優がやがてキャメラの前で破綻する瞬間を捉えることが狙いになっているというか破綻する瞬間まで延々と『二十四時間の情事』の再現を演じさせ続けるという悪趣味なことになっているようにみえる。
監督は撮影前日に女優に原爆資料館をひととおり見といてねと言ってたそうで、女優はひとりで写真や資料を見て衝撃を受けてたのだそうで(→と思ったら、本を読み返したらそれは別の女優、この映画を撮る前に撮った習作(→また違った。この映画の「後」に撮ったものだった。習作はまた別)の短篇「A Letter from Hiroshima」に出てもらったキム・ホジョンというひとのエピソードだった)、そのうえで(→だから「そのうえで」という言い方はちょっとちがうね→でもこっちの映画のベアトリスも、映画の中で、資料館見に行ったと言ってたからね、ていうかふつう見に行くわね)撮影に入って延々と『二十四時間の情事』の観念的なダイアローグを、まさにヒロシマというその場において、演じ続けたら、まぁ、破綻はするよなあと。あるシーンで、キャメラの前で女優は台詞が言えなくなる。