「100分de名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』」見て、テキスト読んだ。

NHKの「100分de名著」という番組、ときどき見てるわけだけれど、この年末は岸政彦『ディスタンクシオン』ということで、4回にわたっておもしろく見た。ブルデューというと、まぁ世代ということもあり、また、何の行きがかりか、参照して何か書いたり、辞典の「文化資本」の項目を書かせてもらったりしたこともあって、まぁ、どんなふうに紹介されるのかと思ってたわけである。でまぁ、テレビだからとうぜん、いろいろ切り詰めて単純化するわけだけれど、岸版『ディスタンクシオン』は、切り詰めて最終的にひとことで言うといつも岸氏の主張している「他者の合理性」論に行き着くという構成。せっかくブルデューの分厚い本を読んだのに結論としてそこにいつもながらの自分自身の考えを見てしまう岸氏の読み方に「他者」はあるのか、という気もしなくもないけれど、ともあれ、まぁNHKなのだから、オチとしては「みんなちがってみんないい」みたいな話で伊集院が深くうなづく、ぐらいの落としどころになるわけだし、まぁそのためにはブルデューは「決定論的で」「でも希望を失わない」「階級社会に強い怒りを持ったノンエリート出身者で」「普通の人の「人生」を聞き取り調査した人」ぐらいに切り詰められる。けっこう景気よくおもいきり切り詰めてるわけだけれど、その単純化のしかけとして、第3回でいわゆる文化的再生産論の話を「教育社会学では」という言い方でごまかしつつ言ってて、まぁ要するにブルデューを平板化するけど文句は教育社会学に言ってくれ、というしかけになってるのはかんじわるいけどまぁいい。