通勤電車で読む『孤独な人が認知行動療法で素敵なパートナーを見つける方法』。自己評価を高めてナンパすべしというのは現在ではセクハラだろうな。

孤独な人が認知行動療法で素敵なパートナーを見つける方法

孤独な人が認知行動療法で素敵なパートナーを見つける方法

れいによってTwitterで見かけてよいというので読んでみたが、まぁ、通勤電車で学校帰りの女子高生に囲まれながら読むのはちょっときびしかった。認知行動療法といえば認知行動療法だけれど、まぁ、認知行動療法って基本的に常識的以上でも以下でもないうすっぺらさが本領だと思ってて、この本もまぁ、そうでしょうねというようなアドバイスというか、低すぎる自己評価を高めるべしとか、頑なに拒絶せずにどんどんナンパ(訳文ではいきなり「フラーティング」というカタカナになってるのでなんのこっちゃとなるけど)してみるべしとか、まぁ、そんなかんじのことが書いてある。まぁ、1985年のアメリカのある種の界隈(そうそう、登場する男女が、ウディ・アレンの映画の性的神経症的な登場人物たちみたい)のかんじがするなあと思いつつ、これ今の、日本の、空気感の中でいうと、まぁこういうことを言ってると、まぁ自分のTwitterのタイムラインとかを見てなじんでる感覚からすると、政治的に正しくないというか、セクハラだろうな、というかんじがする。セクハラだからいけないのです、ということになるかというとそれはまぁ判断に困るところもあって、まぁたしかにTwitterから現実の学生さんたちに目を転じると、あんがいいまでもこのぐらいなもんかなと思ったり、あるいは、このぐらいのアドバイスをしたら現状より幸福になる(ことになって結果的に周囲もまた幸せにすることができるようになる)学生さんとか、いそうだなあという気もするけれど、まぁわたくしは学生さんからそんな相談を受けるようなタイプの先生ではないからどうでもいい。
そうそう、それで関係ないけど今日、ひと月半ぶりに散髪をしてすっきりしたということを書いておかねば。さすがにひと月半ほうっておくとモサモサしてた。

帰りの電車で読んでた『マンガでやさしくわかるオープンダイアローグ』。マンガ的にはこっちかな。

マンガでオープンダイアローグ、もう一冊を帰りの電車でさくっと。ま、これもわかりやすいかな。こっちのはマンガの分量がちょっと多い(たぶん)。ケースの紹介がマンガになってるのはおなじだけれど、こっちのがマンガ的にはちゃんとしてる。かんじんのオープンダイアローグの説明については、まぁこんなもんかなと。

『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』。さくっと読めた。

日本でオープンダイアローグを言って回ってる(昔はラカンとか言ってた)斎藤という人が解説、『精神科ナースになったわけ』の水谷という人がまんがのパート(まんがのパートは、水谷さんだけか、斎藤という人が監修的に参加しているのかはよくわからない)。さくっと読めて、わかりやすかった。これも学生さんにいいかな。
ところで途中でちらっと「エンカウンターグループ」とのちがいみたいなことを書いてたけど、そこはたんにエンカウンターグループを戯画化・矮小化してるだけと感じたな。手法として違うのはたしかだけれど、オープンダイアローグはポリフォニーの対話で、エンカウンターグループは一つに融合することを目指している、などというのはたんなるデマっていうか悪質な嘘だな。

『起業の天才!』読んだ。起業のというか戦闘的組織ができていく感じは面白い。あとは高度成長という時代。後半は陰惨。

例によってこれはHONZからだったと思う(https://honz.jp/articles/-/45934 https://honz.jp/articles/-/45951)。リクルートの江副という人の伝記。帯に「ジェフ・ベゾスはこのヤバい日本人の「部下」だった」とあり、え?と思わせる。で、冒頭にもたしかにそういうエピソードもあるけれど、まぁそれは偶然一瞬そういうことがあったぐらいのことのよう。べつにジェフ・ベゾスが江副の薫陶を受けたというはなしではないですね。
それはともかく、この本、まぁ前半はけっこうおもしろい。起業の天才、かどうかはちょっとわからないけれど、「モチベーション経営」(大沢)を武器にリクルートという戦闘的組織をつくって高度経済成長の波を捉えてぐんぐん成長していく感じは面白かったし、まぁ、紙の雑誌が全盛の時にもうITの世界をはっきりと見越して動いていたというヴィジョナリーぶりはなるほどねのところ。まぁでも、いちど成功してしまうと飽きちゃうというのは、どうなのか。まぁそこが「起業の」天才であって「経営の」天才と呼ばないところなのか。そしてしかし、江副という人はリクルート事件で没落する、ていうか結局その前からバランスを崩して破綻してたとか。これも本人というのもだけどバブルという背景の要素が大きいかんじもある。
で、そこから後半はひたすら陰惨なのだけれど、そのなかで、なんやかんやあって、ダイエーの中内という人がリクルートをあずかることになるくだりの数ページは楽しい、いいところ。

通勤電車で読む『エスノメソドロジカル・ソーシャルワーク』。秋葉さんも参照されてる。「気づき」を方法化しようぐらいの湯加減の本。

ずいぶん前に買ってたのにそういえば読んでなかったのを共同研究室の書架に発見して読む。著者の人はのっけから、エスノメソドロジカル・ソーシャルワークというのは筆者による造語で、たぶんエスノメソドロジー側からもソーシャルワーク側からも唐突に思われるだろう、みたいなことを言っている。まぁ、よくもわるくもそのぐらいの距離感で、まぁエスノメソドロジーですかと問われればうーん?と思わなくもないけれど、まぁ、これぞエスノメソドロジーと押し出されるよりは、普通に読めるし、エスノメソドロジーに触れてソーシャルワーク領域で学生さんの指導とかしてるとこのぐらいの湯加減でいくよなあ、というのはとてもわかる。秋葉さんの「フォーラム・シアター」の取り組みなんかも参照されてて、そのぐらいのかんじでエスノメソドロジーの感覚を現場につなげていこうというかんじ。具体的には、学生さんの「社会福祉援助技術実習」とかの実習系、あるいは現場実習の授業で、ちゃんと事実を見て、「フィールドノーツ」を丁寧にとりましょう、それで「「気づき」という…現場ではとてもポピュラーな認識形態」を状況の中で身につけさせる、という。そのかぎりでは福祉以外の領域の教育でも参考にできる。エスノメソドロジーですかと言われると、まあたとえばガーフィンケルが学生たちに、自宅で家族の団らんのようすを「他人になったつもりで客観的に観察しろ」と命じた、という実験にちょっと似てるかもと思った。

通勤電車で読む『土葬の村』。

土葬の村 (講談社現代新書)

土葬の村 (講談社現代新書)

これはHONZだった(https://honz.jp/articles/-/45949)。レビューを見て、日本でも比較的近年まで土葬の習慣が残っていた、ということを知り、そして本書で描かれているのが、あちこち、なんか意外に聞いたことありげな地域だというので関心を持った。勤務校からすれば意外に近いというか、市町村名だけでいえば行ったことありげっていうか。
そういえば、むかし、まだ若かったころの卒論学生さんで、「死の準備教育」みたいなテーマだったときに、まぁ20年以上前だったんだけど、とりあえず葬送儀礼とか実際のところを調べてみたらどうよ、みたいなことを言って、まぁ卒論はおもしろいものができたわけでよかったんだけれど、へえと思ったのは、彼の田舎のほうではまだ土葬だっていうことで、夏休みに話を聞いてきたとか言ってたこと。それが20年以上前。で、そのご20年以上たって、あらためてこの本(は、彼の田舎とは別の地域についてあつかっている)。近年、伝統的な土葬の風習は急速にすたれているということだけれど、まだそれらの村で伝統的な葬送を行っていた(る)人に具体的なことを聞き取りしているこの本は、なんていうか、通勤電車で読むには重たかった。のだけれど、理屈のところだけ拾うと、20年前の彼の卒論をあらためて補強するというか、あらためてやはり彼の卒論いい線いってたなという気にもなった。

『イラストで学ぶジェンダーのはなし』。学生さん向けに研究室の図書に入れようと。

例によってTwitterのタイムラインで見かけて。研究室の図書に入れておいて、学生さんがこういう本をなんとなく手に取って読んだりするといいかなあ、と。著者の人はアメリカの人で、なんやかんやでクィア/トランスの人として今に至ってる、イラストレーター兼作家の人だよと。で、まぁジェンダーとかクィアとかそのへんの話題について、ワード集みたいなかんじでいろいろな言葉を見出しにあげて、見開きでワンテーマとかそのぐらいで、イラストと文章(あるいは問いかけとか)、というかんじの構成になってて、まぁ学術的に説明しようとかそういうのではなくて、たぶんいまのアメリカとかの空気感の中でクィア/トランスの人として率直にざっくばらんに語るとたぶんこんなかんじ、というぐらいの文章。なので、学生さんがこういうのをなんとなく手に取ってくれるようだといいかなあと。