仙台のトラック暴走、長編小説がヒント?=舞台は渋谷、犯人は自殺

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050402-00000766-jij-soci

「1台のダンプカーが突進してきて数名の男女を跳(は)ね飛ばす」−。芥川賞作家、阿部和重氏の長編小説「シンセミア」(伊藤整文学賞毎日出版文化賞)の中に、仙台で起きたトラック暴走事件をほうふつとさせる場面のあることが2日、分かった。
 ダンプ暴走は小説の一節として登場。東京・渋谷に出た主人公の1人である男が遭遇する。
 日曜日で歩行者天国となった繁華街で、男はダンプが数人をはね飛ばす光景を目撃する。暴走は止まらず、通行人は逃げ惑い、叫び声を上げる。ダンプは百貨店に突っ込み止まるが、死者も出た現場は「戦場と見紛(まが)うほどに淒惨(せいさん)な様相」となった。
 仙台のトラック暴走事件で逮捕された大友誠治容疑者(38)は「自分も死ぬつもりだった」と供述している。
 一方、シンセミアでは運転手について「犯人は運転席で自殺していたらしいが、動機は不明であり、何者なのかさえ明確な説明はない」などと記述されている。 
時事通信) - 4月3日6時1分更新

よくわからないけれど、この「38歳無職」の男が、阿部和重の読者だとして、『シンセミア』を読んで、大いに感情移入してしまい、真似をする、ということは、阿部和重の読みかたとしてどうなのか、という問題以前に、実際問題として、あるのだろうか?
なんか、どっちかというと、
時事通信の記者の人のほうが『シンセミア』の読者で、「オレこのシーンどっかで見た」とか思い出して、そうするとなにしろ阿部和重の読者なだけに、引用とか間テクスト性とかそういう方向性で刺激されて、つい書いたんじゃないかしらん。
まあ思い出すことじたいは仕方ないとして、しかし、それを記事にしてしまうというのは、不謹慎というか、メディアの公共性としていかがなものか。
ちなみにわたくしは『シンセミア』はまだ読んでない。
文庫になったら読もうというぐらい。