島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』、ふるびてしまっている。

週末、前の下宿の引渡しのためにがらんとした部屋で小一時間、大家さんを待っていた。で、そのときに時間つぶしのためにもっていった本。ていうか荷解きで真っ先に出てきたのが島田雅彦だっただけなのだけれど。

優しいサヨクのための嬉遊曲 (福武文庫)

優しいサヨクのための嬉遊曲 (福武文庫)

で、なにがおもしろかったのかなあ、というぐらいピンと来なかった。島田雅彦、一時期まとめ読みしようと思って3,4さつ読んだのだけれど、『僕は模造人間』がじゃっかん読みでがあった(三島との比較、太宰との比較、とか考えながら読んだということで)ぐらいで、あとはあんまし印象に残っていない。
僕は模造人間 (新潮文庫)

僕は模造人間 (新潮文庫)

で、デビュー作にその作家のすべてがある、みたいなことで、この『優しいサヨク』というのには若干の期待をしたのだけれど、なんか、ふるびてしまっていたなあ。ふるびる、ということは、残るものがなかった、ということなんで、どうもぴんとこなかった、ということやと思う。左翼とサヨクの違いなんかそれじたいとしてはいまさらどうでもいいのだけれど、じゃそれいがいにこの小説で何を言っているのか、というと、どうもそんだけなんじゃないの、という気がする。「左翼」という概念(へのアンチ)に意外ともたれかかっているんで、時代を感じる。
なんか、高橋源一郎と並べるより、この作品だけで言うなら、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』と並べたほうがしっくりくるきがする。同じ時代の空気を描写していて、田中康夫が80年代の水にあった女子大生を主人公にしていて、島田は外大露語あたりでぐずぐずしている乗り遅れのアンちゃんたちを主人公にした、といういみで。