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絵画論、ということでいえば、鷲田『顔の現象学』を思い出していた。
- 作者: 鷲田清一
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『現代映画講義』を読んで(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20060224#p1)そこで紹介されてたってのがあって、面白そうだと思ったってのがあるのだけれど、映画見てから読み返したら、絵画論、ということでいうと、『現代映画講義』の人の理解というのは、平板では、と思う。映画のなかで、画家はモデルの中に「唯一の真理」を見つけようとしているのだけれど、「唯一の真理」なんてものは到達不可能なのだ、この作品は、不可能なものとしての作品、という構図でなりたっておるのだ、みたいなことを、対談のゲストの人が喋り、ホストの大寺さんという人は、もう少し含みのある言い方をしようとはしているのだけれど、
たとえば精神分析であれば、分析家が患者を分析するという関係のなかで、患者の中に「唯一の真理」がある、とか、分析家の中にこそある、とか、あると信じてるとか信じてないとか、そういう次元でどうこういっててもあんまりいみない。もっと、転移的な関係そのものをみやんなあかんと思う。そのへんで、「顔」とは、とか、視線とは、とか、折り曲げられる身体とは、みたいな考察がでてくるのやと思って、んで、レヴィナスだっけ?鷲田だっけ?と思い出していた次第。