入学前に復習 大学「中高レベル」指導に力

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060914ur01.htm

学力不足の新入生を対象に、入学前に中高生レベルの学力をつけさせる「リメディアル(再履修)教育」をする大学が増えている。
 今月初め、京都市内で開かれた「日本リメディアル教育学会」から、取り組みの実態と課題を報告する。
 同学会が発足したのは昨年春。学力不足の学生を抱える大学で実践例を持ち寄り、効果的なカリキュラムを作るのが目的だ。京都の学会には約150の大学から約300人が参加した。
 「『3x―x=3』と答えた学生がいた」「『奈良時代』も知らない」――大学関係者から実態が紹介されて会場には失笑が広がったが、「どこも人ごとではないはず」(私立大学関係者)という。こうした実態への対応策として注目を集めるのが、入学式までに中高生レベルの基礎学習を固める「入学前教育」だ。
 立命館大学(京都)は4年前に開始。インターネットと通信添削を併用、毎日1時間勉強できる程度の分量を課す。今年は1月から3月にかけ、AO入試と推薦入試の入学予定者の4分の3にあたる約1900人が希望して受講した。
 近畿大学広島国際大学もネット活用派。近畿大学の受講者も、推薦入試による合格者約1300人にのぼる。聖学院大学(埼玉)は、春休みで教室が空く2、3月に入学予定者を11日間通わせる。90分の授業を1日に4コマ受講させるほか、教員との面談時間も設けて「脱落」防止に力を入れる。
 教科は英語や数学が中心だが、「日本語表現」を最重点に挙げる大学も多い。「論文が書けない学生が多い」(近畿大学)ためだ。
 こうした取り組みの背景には、入試制度の多様化がある。得意教科への取り組みや意欲が認められてAO入試や推薦入試を通った学生の中には、それ以外の教科が中学レベルでとどまっている学生もいる。そのままでは、一般入試で入った学生と一緒に講義を受けても、理解度に大きな差がでてしまい、留年や退学に追い込まれる例もある。
 だが、「入試の多様化で多様な学生が入学し、キャンパスが活性化する」(立命館大学)という利点をあげる大学も。少子化による「全入時代」も目前に迫り、大学によっては、学生の低学力にもある程度目をつぶらざるを得ない現実もある。
 今のところ、「リメディアル教育で、学力が向上したというような検証は難しい」(広島国際大)のが現状だが、こうした取り組みが不可欠という認識は定着しつつある。
 学会会長の小野博・独立行政法人メディア教育開発センター教授は「再履修は大学の使命だが、大学だけで解決できるものではない。小中高との連携も含め、論議を深めなければならない」と話している。(松本美奈
 AO入試 書類審査や面接、集団討論などで、意欲や個性も含め、受験生を総合的に評価する制度。AOはアドミッション・オフィス(入試事務局)の略。
(2006年9月14日 読売新聞)

ていうかもんだいは、中高の教育をなんで中高ではなく大学がやらないといけないことになっとるのかということでは。
いま、大学は、入口では少子化だとか全入時代だとかいって、また出口ではまだまだ就職状況の見通しが完全によくなった気はしなくて、ようするにたちばよわいんである。学校教育と企業社会との接続するぶぶんにあって、どっちからも注文をつけられてしまう、っていうか、あちこちでの矛盾の責任を押し付けられてしまう地位になってしまいつつあるんやないか。
たとえば、少子化で「大学全入時代」になって大学が大きく変化しようとしているとして、じゃあ、中学や高校は少子化インパクトってないのか、とか。あるならどういうかたちであるのか、ないならなんでないのか、とか。子どもの数が減っているのだから、教育条件は向上するはずなのに学力低下とかいっているのはなんでなのか、とか。「受験戦争」がなくなればいまこそ「真の教育」ができるはずなのに、「学力低下論争」の挙句にいまさら受験学力へのゆり戻しみたいなことが起こっているように見えるのはなんでなのか、とか、そうやって再加熱される一部の生徒たちと「どうせ遊んでてもなんとかなるし」と際限なくサボってしまう生徒たちとが二極分化していくという現象が起こっているといわれているのはどういうことなんか、とか。

学会会長の小野博・独立行政法人メディア教育開発センター教授は「再履修は大学の使命だが、大学だけで解決できるものではない。小中高との連携も含め、論議を深めなければならない」と話している。

この小野博という先生の名前は見覚えがある(http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/searchdiary?word=%BE%AE%CC%EE%C7%EE&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail)のだけれど、
さしあたり「日本リメディアル教育学会」という学会のアイデンティティとしては、「再履修は大学の使命」と断言するところを出発点にしないといかん、というのはわかる。そこんところに「ほんまかいな? そんなことゆってるさかい問題の本質が隠蔽されるんやで」と言っていると、学会としてなりたたないし、まぁさしあたり、現実問題として、いまの大学が事実上そういう立場に置かれているのはたしかなことなんで、そこんところをとやかくいってばかりもおられんというのもたしか。
でもそのわりに「・・・だが、大学だけで解決できるものではない。小中高との連携も含め、論議を深めなければならない」と話している、ってのは、ごあいきょうではある。