「バウチャー」と呼ばないで=教育再生会議

なんだか見出しじたいすでにおちょくられているあべちゃん肝煎り会議。
http://book.jiji.com/kyouin/cgi-bin/edu.cgi?20071102-4

2007年11月02日21時27分
●「バウチャー」と呼ばないで=教育再生会議
 政府の教育再生会議は1日、首相官邸で合同分科会を開き、学校選択を進める教育バウチャー制度を議論したが、「バウチャー」の言葉の意味が定まらず誤解を招くとして今後は使用しないことになった。記者会見した白石真澄主査(関西大教授)は報道陣に「決してバウチャーという言葉を使わないでほしい」などと異例の要請を行った。 白石主査によると「学校選択を進め、生徒の人数に応じて予算配分し、頑張る学校に予算が回る仕組み」は大筋で合意。しかし「金券を配るのかと誤解を招かないよう、バウチャーという言葉をあえて使わない」と説明し、「何か良い表現があったら教えてほしい」とも述べた。 同会議はこれまでバウチャー制について、▽保護者らが選択先の学校にクーポン券を提出し、その数に応じて学校予算が増減する▽集まった生徒数で学校予算が増減する‐などの仕組みを念頭に議論。学校間の競争を促す一方、複数の選択肢がない地域には適さないなどの批判も出ている。(了)

もひとつ何を言ってるかわからない、っていうか、言葉だけ引っ込めるというのはようわからん。論点を目立たないようにして話をすすめてしまおう、というときにもそういうことはするのだけれど。
しかし、この会議がどのぐらい生きてるかってのもわかんなくて、もし仮に、この会議が有名無実化したのだとして、最終報告書を予定通り出すだけ出して、そのまま押入れの中にぽーんとほりこんでおしまい、ということになるんだとすれば、
目立ちやすい言葉をはずして、積極的な結論を書かないようにして、報告書を出してもあとあとの政策の手足を縛らないように − ていうか、押入れの中に放り込まれた報告書が政策を縛ることなんかないわけで − 政策のほうに報告書が無視されてもあんまし目立たないように、ということかもしれない。