流れで見た『ギャラクシークエスト』。弱くて善良なオタク高校生と弱くて善良な宇宙人。

『マジックアワー』の元ネタっていうか、まぁ正確には『サボテンブラザース』のリメイクっていうか『続清水港・代参夢道中』モノっていうかの、『ギャラクシークエスト』みた。

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で、スタートレックって子どもの頃に最初のやつかなんか(ミスタースポックとかミスターカトーとかでてくるやつ)を見ただけで、なんかへんな宇宙人がいろいろ出てくる後年のやつ?深夜にやってた?は見てない。ので、いわゆる「トレッキアン」の生態というのもピンとこないのだけれど、そういうオタクの人たちというのがいるのだそうだ。
で、この映画、スタートレックみたいな「ギャラクシークエスト」っていうのの役者の人たちが、いまはそういうオタクの大会みたいなところで実演ショーとかサイン会をやったりTシャツを売ったりしながらまぁ、ドサ回りですかね、している、と。そういう疲れた感じの元テレビスターたちのところに、本物の宇宙人がやってきて、助けを求める。彼らは高度な科学を持ち、地球のテレビなんかも傍受していたのだけれど、善良でウソを知らないので、「ギャラクシークエスト」も記録映画だと思いこんでいて、そこで正義とか勇気とか友情とかを「ギャラクシークエスト」から学び、ギャラクシークエストに登場する宇宙船もそっくりそのまま再現して作ってしまったりしていたのだけれど、いま残虐な別の宇宙人に攻撃されてて、そのために地球にやってきて「ギャラクシークエスト」のクルーたちに助けを求めた、という。そんで、もちろん最初はそんなこと信じずにいたのだけれど、じっさいに宇宙に連れて行かれ、じっさいに攻撃されて始めて気づく、そんで、あわてたりひるんだり失敗したり悩んだりしつつ、ついに目覚めて勇気を持って敵に立ち向かい、ギャラクシークエストの過去放映分のエピソードの作戦を思い出しながら戦ってついに勝利する、みたいな、まぁそういう話。まぁ『サボテンブラザース』ですね。
なのだけれど、この話がちょっとよかったのは、奮起する役者たちっていうより、弱くて善良な宇宙人と弱くて善良なオタク高校生たちへの賛歌になってたところだと思う。宇宙人たちは、『マジックアワー』でいうと妻夫木くんの役回りなのだけれど、妻夫木くんみたいにズルくなくて、純粋に善良で、まっすぐにギャラクシークエストを信じている。いつも不器用にはにかんだみたいに微笑んでもじもじとしている。そのわりに信じられない科学力で宇宙船を再現してしまう。そして、闘争能力はさっぱり無く、悪い宇宙人たちにどんどん虐殺されていく。それでも綾瀬はるかみたいにまっすぐな瞳で役者たちを見る。いっぽう、オタク大会に来ていてひょんなことで通信機を手に入れてしまっていたオタク高校生たちは、役者たちよりもずっと宇宙船に詳しく(オタク高校生たちは、たぶん仲間同士で議論しながら、テレビで見たギャラクシークエストのディテイルの膨大な情報を論理的かつ科学的に解釈して、いわば宇宙人たちが現実に作った宇宙船と同じものを彼らの仲間同士の頭の中で作り上げているのだ)、宇宙船爆発の危機を地上からの交信で(オタク仲間同士がネットで協力し合いながら宇宙からの質問に答えて)救う(彼らは、だから、『マジックアワー』でいうと最後に出てくる映画スタッフ仲間たちの役回りですね)。この「弱くて善良な人たち」の、まっすぐな強さが、強敵に打ち勝つ力になっている、という構図だろう。そのぶん、役者たちの自意識の変化と成長、みたいなところは、まぁごくありきたりにしか描かれてなくて、そこでカタルシスが得られるわけでもないような気もするのだけれど。
あと、ギャラクシー役者の中の、ミスタースポック(というか後年のシリーズのそれ相当の)役の男が元シェークスピア役者だった、という設定が、もっとクライマックスで生かされる(「全世界は舞台だ。そして、すべての男も女もその役者にすぎない − 「お気に召すまま」」http://sekihi.net/stone/2315.htmとか)かと思いきや、そういう大見得は切らなかったみたい。字幕に反映されないところでちょこっと言ってたのかな? そこんところは、説明的になっても言及しておいたほうが良かった気がして、つまりそういう大見得を切らなかったところが、メタフィクション物としてのカタルシスをいまひとつ感じにくかったところ。