『千と千尋の神隠し』ようやく見た。学生さんが卒論で扱うというので。

ジブリ映画が特にどうこうというわけではないのだけれど、けっこう見ないとなると意地で見ないみたいなところもあって、『千と千尋の神隠し』というのはおもしろそうだと思いつつ見ていなかったわけである。それが、おとなりのゼミの学生さんが卒論で扱うというので、まぁ見なくてはならないと。それでまぁ見た。思ったよりもつかみどころがわからなくて、お話のほとんどが一つの建物の中で起こって、なんだか動きがないし、登場人物やキャラクターがどういう者なのか見ていていまひとつわからないのでつじつまがあっているのかどうかについてもいまいち確信が持てなくてすっきりしないまま見ることになるし、なぜにこれが日本歴代興行収入第1位のヒットになったのかよくわからない。

少し考えて、やはりこれいまいちだと思えるわけで、少なくとも活劇ではない(アニメーションなんだから活劇を期待するってのはあるとおもうのだけれど)。どっちかというと、キャラクターの象徴性っていうか、「カオナシは何の象徴か」とか「湯婆婆と銭婆の双子は何を象徴しているか」とかそういう解釈ゲームを惹起するんじゃないかと思って、それは必ずしも作品が「深い」(って学生さんたちとかよく言いますが)わけではなくて、たんにキャラクターに込めようとした設定の複雑さを限られた時間の中で具体的描写に落とし込むことに失敗しているとかストーリーを展開するために登場人物の言動が場当たり的になり行動原理が支離滅裂になってしまっているとか、そこをサボっても見る人が忖度してくれるだろうという甘えを当てにしているとか、そんな気がする。たとえば「カリオストロ伯爵は何の象徴か」とか誰もいちいち忖度しないしそんな必要もなく誰もが何度でもルパン三世の活躍を見てわくわくするしあの作品を何度でも繰り返し見る価値はある、みたいなこと。