なんか釈然としないので見なおした『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』。リアリティ・バイツ。

このまえまとめ見した(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/2020/06/09/014536)けれど、なんかやはり釈然としないものがあって、またなんとなく再見。違和感のひとつは、絵が変わったことで、これはまぁ基本的には、時間的にあいだがあくとアニメの描き方も変わってくるということだろう。CGが妙にテカテカして細かいんだけどなぜか手抜きに見えるというかんじ、新しく出てきたイマドキの若者的なキャラの顔の作画が当初の主人公たちの顔の作画とテイストが違う(えーと、「ガンダム」でもいいし、むかしは「スタートレック」で感じて唖然としたのだけれど、シリーズが長いとキャラクターのテイストが全然変わってしまう)かんじ。まぁそのへんは、基本的にアニメの描き方ということなんだろう。で、劇中でも14年が経っているらしく、エヴァンゲリオンパイロットたちだけがあいかわらずの年恰好で(何かそういう作用があるように言ってた)、他の人たちは外見も変わっている。お気楽ふうだった「ミサトさん」はレジスタンスだか海賊船だかなんだか得体のしれない巨大戦艦の艦長になってすっかり冷徹な司令官然としているし、クールなリケジョ風だった「リツコさん」は副指令におさまってこれもクールを通り越してユーリズミックスアニー・レノックスか?という(これは古かった)相貌に収まっている。これもクールな眼鏡キャラだった「碇指令」は悪役プロレスラーみたいな今風のサングラスの初老のおっさんになって、すっかりおじいちゃんになった「冬月副指令」以外誰にも相手にしてもらえなくなって、廃墟になった「ネルフ」本部の奥でいまだに人類補完とか言ってる。それなりに仲良く?やっていた人たちが、いまは敵対し合っている。
何だろうこの感じは、というので、ふと思ったのは、学園ドラマの卒業後のリユニオン版のビターなやつというか、『リアリティ・バイツ』というか(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20070102/p2)、現実はキビシイ、わが身ひとつはもとの身にして、というかんじ。まぁそういう言い方は好意的な評価になるのだろうけれど。
まぁ、人類がほとんど絶滅してる?のにどうやってあの巨大ハイテク海賊船ができたのか、とか、そもそも人類何回も絶滅し過ぎとか、なんかつじつまあわなそうなっていうか安易なんじゃないかというところはたくさんあるし、また、そもそももともとの「エヴァンゲリオン」の趣旨としては、近未来にせよ日常の現実と地続きのところにロボットアニメが展開した(街やマンションや学校の描写とか、自衛隊なんかへのミリオタ的な執着とか含め)ところがキモだったのかと思ってたんだが、人類があらかた絶滅してしまって海賊船やらなんとかの槍やらの空中戦だけのアニメになったら、見せ場がなくなるんじゃないかなあという気もするので、やはりこれあんましうまくいってないんじゃないかと思われるのはたしかなんだけど。