インザーギが挑むヘディングの競り合いで、こぼれる「かもしれない」ボールを狙うため、後ろ手にポジショニングしていたフィオーレがスタートを切った。また同時にコンテも、後方から、バックアップのためのフリーランニングをスタートしていた。素晴らしい「ボールがないところ」での予測アクション。言葉を換えれば、それは「クリエイティブな無駄走り」とも表現できる。「たぶんこの動きはムダに終わってしまうんだろうな」と思いながらも、僅かな可能性に賭けて脳内ディスプレイに鮮明に描き出された「イメージ」に忠実にアクションを起こす。それこそが「世界の一流」の証明なのである。
まず、インザーギが相手とのヘディングの競り合いに勝ち、後方から走りこんでくるフィオーレの前方のスペースへ正確にボールを送った。その「ヘディングパス」へ寄っていくフィオーレは、一瞬、「ドリブル勝負を仕掛けるぞ!」「シュートを打つぞ!」という素振りを見せる。まだボールに触ってはいないが、その一瞬前の段階から「フェイク」の動作を入れいていたのだ。
ヘディングに競り勝ったインザーギはというと、着地した瞬間にターンし、ウラのスペースへ爆発ダッシュをスタートしていた(彼のマーカーは完璧に置き去り!!)。ワンプレーの後の「次のプレー」に対する強烈な意識、「さすが、アズーリ!」。
さて、ボールを持ったフィオーレ。彼の「フェイク動作」で、トルコのスイーパー、そしてトッティのマーカーの意識が、完璧に「引きつけられ」てしまう。ただフィオーレは、ボールをトラップせず、「ダイレクト」で勝負パスを送り込んできたのだ。それは、インザーギの走りこむウラのスペースへ向けた決定的な浮き球パスとなった。完璧な「ウラ取り」コンビネーション。
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…とまぁ、図を何枚か入れながら、こんなかんじで、著者の人は、「本書では、組織プレーの神髄ともいえるシーンを「5秒間のドラマ」として描写することで、サッカーの奥深い魅力を表現することにチャレンジした」ということで、まぁノリノリで記述している。
まぁ、これ、だから、(何枚かの図というよりは)読みながらビデオとかをくりかえし巻き戻したりスローにしたりしながら見たらあるていど面白いだろうなあと思う。そういう感じの記述。でまぁしかし、この著者の人の記述そのものを分析したら面白いかなという気もする。著者の人は敵味方の選手たちの意識に自由自在に入り込んで意図とか「共有されたイメージ」とかを記述するわけで、それができていることで「サッカーの実況中継を見て楽しむこと」をしてるなあ、と見える。もちろん、こういう見方をせずに単に日本が勝った負けただけで一喜一憂するみたいな楽しみ方(わたくしはだいたいあらゆるスポーツについてにわか的なそういう楽しみ方をしている)も、げんにされているわけだし、それはそれでありとして、しかし、まぁサッカーを知って楽しんでる人の楽しみ方というのは例えばこんな感じになるよ、というのが垣間見えそう。