通勤電車で読む『発達障害当事者研究』。なんとなく現象学的な記述と言いたいような。外れなしの「シリーズ・ケアをひらく」の一冊。

発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)

発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)

学生さんたちと卒論のはなしをしていて、まぁ発達障害とかそういうテーマについてで、その関係で、そういえばこんな本を買ってるんだよねと積読の棚から大量の「シリーズ・ケアをひらく」を引っ張り出してテーブルの上に山積みして見せびらかしたりして、なんかこのシリーズは外れなしの噂なんだよね、まぁ私は数冊しか読んでないけど、とかなんとか言ってたんだけど、学生さんたちが帰ってからなんとなくやはり読みたくなって、ちょうど電車で読む本をみつくろわねばだったのでそれっぽいのをかばんに放り込んで帰る。
著者の人は大人になってからアスペルガー症候群というのを知り診断名をもらった、という人。で、のっけから、「おなかがすいた」というのが自分には「わかりにくい感覚」なのだということを説明しはじめる:

・・・私はまず、「おなかがすいた」という感覚がわかりにくい。なぜなら、身体が私に訴える感覚(以下、身体感覚)は当然、このほかにもつねにたくさんあるわけで、「正座のしすぎで足がしびれている」「さっき蚊に刺された場所がかゆい」「鼻水がとまらない」など空腹感とは関係のないあまたの身体感覚も、私には等価に届けられているからである。
さらに、私に届けられる情報には、このような身体内部からの感覚だけでなく、見たり聞いたり触れたりなどの五感を通じてインプットされる身体外部からの情報もある。だから、これら大量の情報を絞り込み、「おなかがすいた」をまとめあげ、「食べる」という具体的行動にまで移すというのは毎回とてもむずかしい、ということになる。
それでは、その一連の過程について詳述していこう。・・・

とかなんとかいいつつ、おなかがすいているかもの予兆にあたるところから「おなかがすいた」が確定されるまで、奇妙な図を入れて9ページぐらい記述が続き、そこからさらに「なんか食べたい」という意志が立ち上がるまで4,5ページ、それでもまだ実際の行動には結びつかず、あれこれがうまくまとまらずにフリーズしているうちに刻々と空腹状態は進行・顕在化して、「これ以上食べなかったら倒れるよ」という警報が生命の危機を訴え始めるにいたって、危機感とパニックの中で「食べねば」に変化することになる、というところまででまた4ページぐらい。その間、

・ボーっとするなあ、考えがまとまらない
・う、動けない
・倒れそうだ、血の気が失せる
・頭が重い、ふらふら

といったかんじから、

・胃のあたりがへこんで → なんだか気持ち悪い
・胸がわさわさして → 無性にイライラする
・胸が締まる感じがして → 悲しい

みたいな身体感覚、心理感覚のようなものがでてきて、さらにその胃のへこみが「小指でチョンと胃が押されるような感じ」から次に顕れるときは「へこみの大きさは親指大になっており」「次は五〇〇円玉大、次は卵大と、ゆっくりおおきくなっていく」さらに「どらやきぐらいの大きさで胃がえぐれる感覚になったとき、まさに文字どおり、おなかが「すく=空く……空っぽにえぐられてなくなる」感じとなる」「同時に「ボーっとする」「倒れそう」「胸がわさわさして、無性にイライラする」「胸が締まる感じがして、悲しい」といった身体・心理感覚も増大しており、顕在化しつづけるようになっている」で、「このことから、どうやらこれらは、空腹によって生じ、ひとまとまりになっている感覚らしいということが、事後的に判明する」「こうして、ここでようやく疑う余地もなく「私はおなかがすいている」ということがわかるのである」というところにたどりつく。
なんかそういう記述は、とりあえずおもしろい。なんとなく現象学的な記述と言いたいような気にもなってくる。でもまぁ、現象学ってなんだっけ、とも思うし、それらの記述はたしかに非常に細密だけれど、そういうものなのかなというふうに理解可能でもあり、ということはそれが「発達障害の当事者の経験を記述したもの」だとしても同時に「私の経験を非常に細密なやりかたで記述しなおしたもの」と見分けがつかないのではないか、という気もする。そのことについてもうひとりの著者の人は:

「質的には同じでも量的には違うのではないか」

という問いかけのかたちで書いているんだと思うし、まぁこの本はそのように読めるのだけれど、でもひょっとしたらそれはこういう饒舌な記述の仕方のほうの特徴であって著者の人の「経験そのもの」 − ???!! − の特徴じゃないんだよ、と言われたらどう答えられるだろう、とも思いつつ、まぁたとえばブランケンブルクが言ったのだか誰だったか忘れた、分裂病の患者は現象学的還元を生きてしまっている、的ななんかあったなあということも思い出したり、ガーフィンケルのアグネス論文はどうだったかな、などと連想してみたり、まぁそんなかんじ。