通勤電車で読む『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』。これはおすすめ。

まったく新しいかどうかはともかく、これはおすすめ。
第一に、論文を書くにあたって「問いを立てる」あるいは「問いー答え」を出発点にするのでなく、「アーギュメント」を出発点にするぞ、としているところ。アーギュメントというのは、論文の核となる主張内容を一文で表したテーゼ、であって、論証を必要とする主張、であると。この「アーギュメント」というのをきちっと提示して、あとはそれを論証していくのが論文であるよと。これまでの多くの論文の書き方本は「問い」を出発点としていたけれど、「問い」というのはむしろあとづけで出てくるのであって、まずは「アーギュメント」だぞ、と。その言い方は、じつはけっこう自分的にさしあたりの納得感がある。
ところでわたくしは学生さんに論文とは何かを説明するときに、「発見を伝えるものだ」というふうに言っている。そのいみではわたくしは「アーギュメント」説に完全に賛成というわけではなくて、「発見」と言ったほうがいいじゃないか、というふうには思っている。「発見」というと何がいいかというと、「発見」という概念の中に「誰もが知りたがっていた(知るべきだった)のに知らなかった」という意味が含まれているから、つまり、論文の重要な構成要素として「先行研究のレビュー」が含まれることをよく言える、というのがある。
「アーギュメント」というのはそれじたいは単なるテーゼであるから、先行研究との関連というのは別途議論を要する。でそれは章を改めて、「アーギュメントにアカデミックな価値をつくる」としていて、そこで既存の知をひっくり返す、批判する、ということの必要性を言ってる。実は本書は「発見」という言い方には否定的で、人文学だと「発見」は稀で、しかし既存の知のひっくり返しつまり批判はできるよ、というふうに言ってる。そのへんは、じつは自分的にはちょっとちがうなあと思うところではある。
「発見」という概念のなにがいいかというと、「誰もが知りたがっていた(知るべきだった)のに知らなかった」すなわち、そこには「既存の知の「総体」」という意味が含まれているわけである。つまり、「発見」を主張するためには、少なくとも建前上は、「すべての先行研究のどこにも言われていなかった」ということを証明しないといけないことになる。これはたしかに途方もないことで、現実的に無理でしょうと言われるかもしれないけれど、適切に「方法的に」先行研究を渉猟することで(かつ、先行研究それぞれが同様のことを行ってきていることで)、既存の知のピラミッドの全域を見渡すことが可能であるという、まぁあくまで建前上は言える理屈がありえまして、誰もがその規範に従うことでアカデミックな世界が可能になるのだよ、…というぐあいにまぁ授業で学生さんにしゃべっているわけである。これはまぁ、アカデミックな世界に関するかなり強い規範を求める、まぁいかにも建前的な説明ではあるのだけれど、しかしそこを抜きにしたらいかんのではないかと思うので私はその説明をしている。
それに対すると、「批判」というのはあくまで個別の先行研究某に対する批判ということになって、総体という次元のはなしにはならないし、だからまぁ別のところでは、「どのぐらいの先行研究を引用すればいいか」みたいな話にもなる。まぁねえ、現実的には目安として何年以内の最近のものを何本程度、みたいなことはいえるかもしれないけれど、個々の論文がそんなふうに書かれていては、アカデミックな世界の総体が成立しないのではないかしらと思う次第。これは批判ですね。
ともあれ、そういうことを考えながら読んでいたわけで、その程度には自分の考えたり普段教えていたりすることとしっくり噛み合う考え方で書かれていて、もちろんそれを非常にきちんとしたやりかたで書いてあるので、これはいいぞと。
また、「書けないやつは読めない」ということで、ライティングの練習として既存の論文の解析をやりなさい、というのも、自分が考えていたことで、「論文のリバースエンジニアリング」みたいなイメージで考えていたようなことをこれもきちんとしたやりかたで言ってくれててこれもとてもいいなと思った。いやーわたくしも最初は気に入った論文の段落数とか文字数とか数えたりしてたなあと。
というわけで、本書、わたくしが普段学生さんになんとなく教えたり自分が考えたり少しやったりしていたようなことと似てることを、きちんとしたやりかたで書いてあるので、とてもしっくりいくしおすすめしたい。