「各高校が知恵 ユニーク教科続々と」(教育新世紀・YOMIURI-ONLINE)

http://www.yomiuri.co.jp/education21/news/20041122_01.htm

各高校が知恵 ユニーク教科続々と
演劇体験→自己表現みがく
自然学習→身近にふれあう

「富士山学」「いのちを考える」などの耳慣れない授業が、数学や英語と同じ教科や科目として、高校で増えている。昨年度の学習指導要領改訂で各校が自由に設置できる「学校設定教科・科目」ができたためで、従来の教科などではくくりきれない内容を、学校自身や生徒のニーズに合わせて盛り込もうとする試みが続けられている。(松原 知基)

 神奈川県立横浜桜陽高校(横浜市戸塚区)の「演劇体験一」の授業が今月上旬、翌日の授業発表会に備え、体育館のステージで行われていた。「のどの調子を確かめて」。小島有子教諭(46)の弾むような声が館内に響くと、24人の生徒は一斉に「アー」と大きな声で発声練習を始めた。幕が上がると、音楽に合わせて衣装を翻し、交差しながら舞台を走りゆったりしたリズムで踊る。数人ずつの生徒が順番にセリフを継いで平家物語での木曽義仲の最期を描く「群読劇」が繰り広げられた。

 同校が昨年度から「演劇体験」を学校設定科目として導入した目的は、決して演劇や演技そのものを学ばせることではない。王尾(おうび)冨美子教頭(53)は「隣接する特養ホームにボランティアに行っても、お年寄りの前で声も出せずに突っ立っている生徒がいた。自分の気持ちを表現できなかった」と、以前に見た生徒の姿を説明する。学校側は、人前ではっきりと自己表現できる生徒を育てるため、演劇を手段に選んだ。

 週に1時限(90分間)の授業は8月までの5か月間、発声や朗読、身体表現などの練習に費やされた。なかでも大きな声を出すことが重視される。1年の荒川舞子さん(16)は「初対面の人は苦手だったけど、とにかく声が出るようになった」という。

 同校の学校設定科目は、全部で43。演劇体験のほかにも、知的興味を刺激する「中国語入門」や身の回りの自然へのフィールドワークを伴う「横浜の自然」、既存の教科をより深く学ぶための「応用物理」、「世界史特論」などが用意されており、受講すれば卒業単位となる1―2単位を習得できる。

 生徒は、卒業に必要な74単位のうち20単位を上限に学校設定科目を選択できるが、まったく選択せず卒業することも可能だ。

 同校では、広い視野を持った生徒の育成を目標に、教諭の提案をもとに科目設定を行っているが、実際に設定するとなると、教えることができる教員や外部講師などの確保が難題だ。「演劇体験」を担当する国語科の小島教諭は1年半、自腹を切ってカルチャースクールや演劇関係団体の勉強会に通い、授業の準備をしたという。

 今年度準備した43科目のうち、受講希望者が開講条件の5人に満たずに取りやめたものも、「横浜学」など6科目ある。王尾教頭は「教師の思い付きによる安直な設置ではいけない。生徒にどんな力を身につけさせられるかを常に検証しながら、多様な教育内容を考えていきたい」と話していた。

 (2004/11/22)

↑これ、うまくいくのかな?

いつも、授業の小レポートで、
「学校の授業で勉強する知識は役に立たない、なのになぜ勉強するのか?」というお題を出す。
今日もちょうどその話をしていたのだが、
学生のレポート解答は、いつもかなり「教師寄り」で、「いま役に立たないと思う知識もいつか必ず役立つ」とか「我慢して勉強することが役に立つ」みたいな、教師に都合のいい現状肯定的な意見が多い。
まあいままでそうやって実際に教師に繰り返し言われてきて、自分でもそう言い聞かせて勉強してきて大学にまで到達したというのはあるだろう。
でも、これから教師になろうという学生諸君が、そんな子供だましでいいとは思えないんだけど。
あと、多いのが、
「役に立たない知識でも、身に付けることで幅広い教養になる」
というのがあるんだが、
実際には、学校で教える知識は全然幅広くない。
全然幅広くないじゃん?なんでそんなこというんだ?と思う。

いま、ゆとり教育だとか総合的学習の時間だとか、上記のニュースのような科目だとか、いろいろ幅を広げる試みはあるのだが、なかなかしっくりと学校の枠組みの中におさまってくれない。
学校という枠組みは、そもそも、幅広い役立つ知識を盛り込むようにはできてないんじゃないか、だから、新しいことをしようと思ったら、そうとうダイナミックに根本的に新しい枠組みに組み替えないと成功しないんじゃないか、と思う。