京大の石垣の上に喫茶店。(MBS「VOICE」2月2日放送)

http://mbs.jp/voice/special/200502/0202_1.html
おもろいおもろい。

大マジ!学生たちの反乱


 ■ 2005/02/02 放送

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いまから30数年前。
全国の大学では社会の変革を訴えて学生達が反乱を起こしました。
その大学紛争はすっかり姿を消してしまいましたが、京都大学である問題を巡り、ちょっとした紛争が起きています。
大学紛争を知らない今どきの学生達が起こした反乱。すでに立てこもりが始まっています。

京都市左京区百万遍
市内でも有数の交通量を誇るこの場所に、突如、異様な建造物が登場したのは10日ほど前のことでした。

ん?やぐら?

京都大学の石垣の上に、やぐらが組まれたのです。

不思議そうに、見上げる人も。
やぐらの側には「珈琲50円」と書かれた看板。
いったい何のために建てられたのか。
早速、VOICEは取材を始めました。<記者>
「何やってるんですか?」<学生>
「(笑)上がって来て下さい」
誘われるがままに、上がってみると…。
3畳ほどのスペースに、10人以上がひしめき合っています。
カフェというよりは、何とも懐かしい“学生寮”を思わせる雰囲気です。<記者>
「コーヒー頂けますか?」
まず、一杯50円のコーヒーを注文してみると…。
取り出されたのはガスコンロ。
そして水は…。<記者>
「どこで汲んできてくれたんですか?」<学生>
「すぐそこに校舎があるんで」
ひとくち飲んでみると…。<記者>
「ものすごい薄いですね」<学生>
「(インスタントコーヒーの粉)をバンバン入れてください」

カフェとは名ばかり。
実はこのやぐら、大学が計画している『石垣撤去』の反対運動の拠点だ、というのです。
京大の石垣は、学生が政治的なメッセージを訴えたりサークルの告知をしたりする、立て看板の設置場所として、古くから知られてきました。
しかし、去年の秋、大学側は、『その石垣を取り壊す』と、発表したのです。
大学が示した計画は、今年の4月までに石垣を撤去し、樹木やベンチを配置して遊歩道を作る、といったものでした。<京都大学・東山紘久副学長>
「『タテカン(立て看板)を禁止するためではないか』と言っていますが、そうではありませんし、せっかく工事するのだから、ボルトを埋めたりして立て看を立てられるようにはします」

大学は遊歩道を作ったあとも看板の設置も認めると言っていますが、今の石垣にこだわる学生達が、ゲリラ的にカフェを作って居座ることを決めたのです。<学生>
「この石垣と立て看板は一体のものであって、再構築して看板が出せるようになっても意味がない」

突如石垣が撤去されないよう、学生達は夜を徹してやぐらカフェを運営しています。
そんなやぐらの上では、ちょっと不思議な共同生活が送られています。<学生>
「ねえねえ、コーヒーもらっていい?」

「お菓子食べてく?ちょっと上がって。すぐに帰ってもいいから。怖くないよ〜」

時にはこんなお客も…。
やぐらに上がる小学生の兄弟。
周囲の人たち反対運動への理解を深めてもらうのも、やぐらカフェの大切な役割です。<記者>
「どうやった?」<兄>
「景色がよかった」<弟>
「でも何か怪しかった」<記者>
「石垣があった方がいい?」<兄>
「あった方がいい」<弟>
「京大らしい」

当の京大生は、彼らの行動をどうみているのでしょうか。<京大生>
「興味がない」
「なぜやってるのか分からない」
「他にすることあるだろう」

近畿地方を寒波が襲ったこの日も、やぐらカフェの中に学生達の姿がありました。
意固地なまでに、座り込みを続ける学生。
そこには彼らなりの、石垣への思い入れがあります。

1970年前後の学生運動華やかなりし頃、京大の周辺には「タテカン(立て看板)」がひしめいていました。
学生たちは独特の文字で「ベトナム反戦」や「大学解体」などを訴えたものです。
しかしその後、全国的に大学紛争が衰退し、キャンパスからタテカンが消えていきました。
京大もここ数年でキャンパスにレストランやコンビニなどが次々とオープンし、大学の美化が進むにつれてタテカンのスペースも制限されるようになった、と学生達はいいます。
かつて、京大教授として大学紛争を経験した森毅名誉教授は、いまどきの学生達の反乱をこう見ています。<京都大学森毅名誉教授>
「30年ほど前にこういうことがあれば、ここ(やぐらの中)にいたような人が今、教授をしている。いろいろ話をして最後に決める方がややこしいけれどややこしさが京大の伝統」

昔の紛争の舞台は京大の時計台でしたが、今はやぐらカフェ。
これも時代の違いでしょうか。<森毅名誉教授>
「(昔も)カフェはあったよ。全共闘が先生に注文を取りに来て『教官料金は倍』と言われ、学生の倍取られたよ」

しかし、学生の思いとは別に、工事は着々と進みます。
そして、石垣の撤去も近いと感じた学生達は、とうとう痺れを切らし次の行動に出ます。

自治会やサークルが連名で提出した文書に満足のいく回答が得られなかったことから、総長との話し合いを求め、押しかけたのです。
学生達は座り込みも辞さない姿勢です。

鍋を運びこみ、実力行使。<学生>
「石垣を壊して欲しくない。それについては無視ですか?」<東山紘久副学長>
「石垣は積み直す」<学生>
「積み直したら石垣じゃない」

学生達に対し、改めて説明会を開くことで事態はひとまず収拾しました。<京都大学・東山紘久副学長>
「心の中では少し気長に。焦ってガーッとしたくない」<学生>
「大学が面白くなくなっている。こういう面白さ、勢い、エネルギーが残る場にしていきたい」

大学生がおとなしく従順になったとされる時代に、自らの発言の場を求めて行動を起こした学生達。
30数年前はごく当たり前だった“体制への反乱”は、果たして今の時代、どこまで受け入れられるのでしょうか。
( 2005/02/02 O.A )

こういうときにコメントを出すのは、あいかわらず森毅なんやなあ。
で、ここにでてくる「東山紘久副学長」って、専門が臨床心理学の人で、ロジャース派「来談者中心療法」のカウンセラーの人なんで、こういう交渉も、うまいことやるんやないやろうか。