日曜日に、囲碁を見終わってから、ふらんふらんと散歩に出かけた。行き先は結局、本屋とCD屋。
大塚英志『物語消滅論』は、以前ここにも書いたけれど、店頭でチェックしただけで、買いそびれていた。
物語消滅論―キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 (角川oneテーマ21)
- 作者: 大塚英志
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2004/10/01
- メディア: 新書
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- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/01/01
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- 作者: 山田雄一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/02/08
- メディア: 新書
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- 作者: 橋爪大三郎
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- 作者: J・デリダ,廣瀬浩司,林好雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/12/09
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- 作者: ジャック・デリダ,中山元
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/02/09
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とりあえず今日、内田本だけ通勤電車でさらっと読み上げた(さらっと読める)。
タイトルと著者名だけ見て、ラカンだろうと思ったらやはりラカンだった。
だいたい想定の範囲内の話。わかりやすかった。という「読み」は、どう?
新宮一成『ラカンの精神分析』と、ある意味で同じ話をしているのだが、新宮のが「わからない」のにくらべて、内田のは「わかる」。内田を読んでから新宮を読むと、「おお!」と思うはずだ。じゃ、新宮を読んでから内田を読んだら?とか、考えたり、じゃ、新宮だけ読んだら、とか、考えたりする。とりあえず私は新宮だけ読むのでいいや。
- 作者: 新宮一成
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1995/11/16
- メディア: 新書
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えーと、それはそういうものです。学生に薦めるなら内田ですよ。
↓
本屋の隣りにCD屋が入っていて、店頭の中古CDセールを見ていたら、オーネットのディスクがふたつもあった。これは買わねばならない。
- アーティスト: Ornette Coleman,Prime Time
- 出版社/メーカー: Polygram Records
- 発売日: 1995/09/26
- メディア: CD
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Jazz Buhne Berlin, Vol. 5 (Repertoire (G) RP 4905 CC)
Ornette Coleman (as, tp, vln) Charles Ellerbee, Bern Nix (g) Al MacDowell, Chris Walker (b) Denardo Coleman, Calvin Weston (d)
Volksbuhne, Berlin, West Germany, June 5, 1988
Song X
Music News
Chanting
Honeymoon
Realing the Feeling
Singing in the Shower
Dancing in Your Head
Bourgeoise Boogie
↓
いま、例によってはてなの機能を使って内田本がどのように読まれているか、他の方々の記述を読んでいたのだが、??というかんじがしたので追記。
↓
この内田本は、「ちくまプリマー新書」というシリーズの創刊ラインナップの一冊になっている。このシリーズは、中高生向けなのだそうだ。なので、この内田本について評している方々の多くが、この本を、中高生向けで易しい、と書いてはる。
うそやろ。
ホンモノの中高生にこれを読ませても、「だるい」と捨てられるに5000点、である。
たしかに、「中高生の皆さんむけです」みたいなポーズで書いてはあるのだけれど、それにしてはやはり思考方式が抽象的な気がする。
本気で中高生に読ませようとは考えてない気がする。
ということはつまり、「中高生の皆さんむけです」みたいなポーズそのものが、気取りだ、ということだと思う。「かみくだいて書いてますよー」みたいな。そういいつつ、「でもわからないでしょう?」みたいな。
この本の「著者の言いたいこと」というのじたい、そういうことだと思う。
それは気取りだと思う。
じっさいのところ、「中高生の皆さん向けです、かみくだきました、でもわからないでしょう?」という気取りにもかかわらず、
中高生はともかく、ふつうにある程度この手の話に親しんでるひとにとっては、
「誤読の余地なくわかりやすい」本だと思う。もともとそういう書き方をする人だと思う。少なくとも、新宮本と並べると、「意図して啓蒙的」だと思うし、そう言われて否定する人ではないはずだし、その限りにおいて、この本の「著者の言いたいこと」とはずれると思う。
そのへん、内田さんの自己像は裏切られてると思う。
にもかかわらず、ですねえ、にもかかわらず、はてなで読書記録を書いている皆さんの多くが、内田本を「中高生向けで易しい」と言い、そして「だけどすごくいい」と褒め、かなり揺さぶられてはるようなことを書いてはるんで、
うーむ、と思った。
なんていうのでしょうか。
それでええのか? まぁええのか。という感じ。