「改正教育基本法 自公などの賛成多数で可決、成立」あるいは、「理屈を言うな!」

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改正教育基本法 自公などの賛成多数で可決、成立
12月16日10時8分配信 毎日新聞
 政府・与党が今国会の最重要課題と位置付けてきた改正教育基本法が15日の参院本会議で自民、公明の与党の賛成多数で可決、成立した。同法の改正は1947年の制定以来初めて。改正基本法は前文で、公共の精神の尊重を強調、教育目標に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現で「愛国心」を盛り込んだ。政府は、来年の通常国会に学校教育法や教員免許法の改正案を提出し、教育改革を本格化させる。
 改正基本法は、6・3制の変更も視野に9年の義務教育年限を削除。家庭教育と幼児教育の条文を新たに設けて、国や地方公共団体による環境整備を義務付けた。政府に対しては新たな「教育振興基本計画」の策定を課し、国と地方に財政上の措置を求めた。
 同法成立に伴い、安倍晋三首相が設置した「教育再生会議」(座長・野依良治理化学研究所理事長)は、教員評価制度や「ゆとり教育の見直し」を来年1月の中間報告に盛り込む方針だ。
 一方、国会では、教育基本法改正案の採決に先立ち、与党は野党の抵抗で時間切れとなって廃案や継続審議となることを回避するために、衆院本会議で会期を19日まで4日間延長することを議決した。そのうえで、野党4党が提出した安倍内閣に対する不信任決議案を否決。麻生太郎外相に対する不信任決議案は内閣不信任に包含されるとして採決しなかった。
 参院でも野党4党が伊吹文明文科相の問責決議案を提出して抵抗。ただ、安倍首相の問責決議案については、民主が「すでに衆院内閣不信任決議案を提出している」との理由から慎重姿勢を示したため、共産、社民両党だけで提出、野党共闘に亀裂が生じた。伊吹文科相の問責決議案は参院本会議で与党の反対多数で否決。首相の問責決議案は参院議院運営委員会で自民が「持ち帰って検討したい」と主張、民主も反論せず本会議採決を先送りした。
 国会は最終日の19日、衆参両院で残っている法案の継続手続きなどを行う。【竹島一登、衛藤達生】
最終更新:12月16日10時8分

さて、まぁこういうことにあいなった。
で、これ、強行採決だの野党の共闘の空中分解だので決まったわけなので、ま、結局、野党が選挙で勝てていなかった時点でこうなることは決まってたし、教育基本法改正にかぎらず、どんなわけのわかんない法案であろうがその気になれば通すことができる、ということである。
なので、もんだいは、改正教育基本法がそれ自体としてどう理屈が通ってないか、ではないわけで、そんなもん、理屈が通ってようが通ってまいが、多数決で通るんである。
もんだいは、だから、「ものごとには理屈が通っているべきだし、理屈として間違っている事は実現してはならんのである」という基本的な信念が、なし崩し的に崩壊しているということやろうと思う。
ていうか、崩壊っていうか、いままで無しで済ませておったことがばくろされてしまったということやろう。
そういう信念が国民のあいだにまがりなりにも広がっていることが民主主義なりなんなりの前提であるはずなのにもかかわらず。たぶん「日本は官僚が優秀で」みたいなことを言いつつやりくりしていたのを、いきなり「政治主導で」なんて言い出したら、こうなってしまった、みたいなことなのだろうと思う。官僚制というのは、曲がりなりも、歪んでようがなんだろうが、ひとつのシステムなので、歪んでようがなんだろうがある種の理屈によって作動するのだけれど、政治家というのは選挙で選ばれるわけなので、よくもわるくも、「この程度の国民にこの程度の政治家」(という言葉が誰の失言だったか検索したら複数出てきてなやむわけだが)なわけである。ふたを開けたらこうでした、みたいな。

以前、教育学会かなんかの声明について、賛同署名をつのる、というのが「はてな」でも流行ったしここでもとりあげた。でも、そのときにも書いたのだけれど、なんか、違うなーという感じだった。
というのも、さいしょ「教育学の専門家」のあいだで署名を募っていたのに対して、揶揄気味に、誰でもが賛同できる署名が登場した、というあたりの動向がぴんとこなかったから。
専門家には専門家としてしか語れないことがあるし、語る資格があるし、それは素人と同等に扱うことはできない、という前提が、この社会で共有されない感じがあって、
そういうことなら、そもそも、学問や教育などどうだってかまわんことになってもおかしくないんである。
ようするに「理屈を言うな!」とか「机上の論ばかりやってるやつの言うことには意味ないぞ!」みたいな心性というのが、あのときに「教育学の専門家」のあいだでの署名運動に対して反感を感じていた人たちにも、広く共有されているんじゃないか、と感じたんである。
だから、教育基本法が理屈にあってようがあっていまいが、本気で反対する人って意外といないだろうなあという気もするし、いまの教育改革だか再生だかについても、あからさまな反知性主義に対して本気で反対する人、でもって知性主義を本気で要求する人って、意外と少ないだろうなあ、という気がするんである。

そうすっとこれは、きのうきょうの問題というより、それこそ50年ぐらいのスパンで実現していかないといけない、市民教育の問題なんやなあ、と思う。

ちなみに、くだんの声明、署名を集めて記者会見をやったそうだけれどマスコミはほとんど無視だったでしたね。
そして、その黙殺が不当だとは、この社会ではあんまし思われてないだろう。
学問だの専門性だの知性だのといっても、もう、いまさら騒ぐまでもなくずっとまえから完封負けと言ってよろしいと思う。
改正教育基本法だの、教育改革だの再生だのなんだので、何が変わるのか変わらないのかはわかんないけれど、
臥薪嘗胆でも捲土重来でもなんでもええけれど、とにかく、ちゃんとした理屈の感覚を育てる教育をしないといけないねというのが感想。