『未完のレーニン』『ホワイトヘッドの哲学』買った。

未完のレーニン 〈力〉の思想を読む (講談社選書メチエ)

未完のレーニン 〈力〉の思想を読む (講談社選書メチエ)

ホワイトヘッドの哲学 (講談社選書メチエ)

ホワイトヘッドの哲学 (講談社選書メチエ)


ざーっと読んだ。
ホワイトヘッド』のほうは、
ちょうど平積みになってた増補新版の丹生谷貴志のすばらしいテキストを思い出した。
ドゥルーズ・映画・フーコー

ドゥルーズ・映画・フーコー

丹生谷が、ベルグソン+ユクスキュル+ドゥルーズで描き出していたことがらと、印象としてかさなってるのだけれど、気のせいかね。
『レーニン』のほうは、じつは先日、朝日の書評で見て、欲しくなってたんでようやく手に入れたんだけれど、読んでみたら、書評の人と似たような?感想。
書評の人は、なによりこの若い人がレーニンを、旧い年代のひとたちのような思い入れ抜きに、扱っているのに驚いてるというか当惑している感じだったのだけれど、えーとまあそんなかんじ。
えー、まずですね、お話の前提として、中沢新一『はじまりのレーニン』(1994)って本があって、これはよかったわけです。
はじまりのレーニン (岩波現代文庫)

はじまりのレーニン (岩波現代文庫)

いかにも中沢新一らしい、嘘かホントかわからないけれどすこぶる面白いレーニン像を提示してたわけですね。
で、くだんの書評の人はどうかわからんですが、わたし的には、中沢本についていえば、旧来の思い入れから切れていることに当惑したりはしないわけです。面白いので。
ところが、この本はですね、なんかすごく教科書的なレーニンなのですよ。
べたべたなレーニン紹介で、ただ、語り口には明らかに、思い入れがない。ていうか、書いている本人はとても新鮮な気持ちで「レーニンって実はすごいこと言ってるんだぜ!」みたいなつもりが透けて見える。(ただし、暴力革命のところだけ、暴力のニュアンスが薄められているのは、著者の人のくふうだろうね。)
なので、えーと、おいおい、というかんじで、当惑してしまう。
まぁもちろん、つまらない本ではないです。
公平に見て、著者も言っているとおり、現代の社会で、マルクスやレーニンの言ってることはいよいよよく当てはまるようになってきている、というのもうなづけなくもない、
って言うか少なくとも、政治家・理論家の器として、あべちゃんやら小沢やらよりいくらなんでもレーニンのほうが偉いのは間違いないので、『美しい国へ』の1000ばいぐらいレーニンが読まれてしかるべきなんで、
こういうべったべたなレーニン紹介本もあっていいんじゃないですか?というかんじ。
ちなみにあとがきを読んだら、この本、もとは著者の修論だそうです。
えーそんなもん金とって売るなよ。という声が喉まで出かかります。
あと、この本でレーニンとフロイトを重ねながら、レーニンの言ってることをユダヤ教と重ねてますが、
中沢本では、たしかキリスト教の三位一体説やヤコブベーメ神秘主義なんかが重ねられてて、
そのへんの議論の怪しさと芸の幅からして、やはり中沢本のほうが上手かなあと。
やはり中沢本を読んだほうがいいかも。